『大日本史料』 12編 37 元和七年正月~同年六月 p.421

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學頭高次、高俊幼なくして國政の亂れむ事をおそれて、万裁判す、數々の條目を定む, と云々、此頃に當て、藤堂にて、我在所勢〓安濃郡津より、西嶋八兵衞と云者を遣し, て、大池九十餘ケ所を鑿て、耕農の用に便ならしむ、又高次より野々村九郎左衞門と, 壹岐守高俊, 傳ニ曰、高俊三歳, む、万截判すへきものゝ、かくの指圖はあるましき、能く心を付て見へき也、, 母は藤堂和泉守高虎の女、, いふ者、尾州の成瀬隼人正より頼まれしとて、高俊方へ、七百石にて召抱被申へしと, 生、因台命土井大炊頭源利勝の女を娶、, 督を繼て、讚州高松の城十七万千八百餘石を領、台徳・大猷の兩君に〓、, 慶長じ六年辛亥、高俊江戸に, こして家督す、祖父藤和泉守高虎・叔父藤堂大, 元和七年七月、家, いふに、加藤左馬介・森美作守・本多美濃守・松平阿波守・松平宮内少輔・生駒讚岐, 也、, 守, 松平土佐守、, 欠可申故、此儀ハ御猶豫可給との事なるへきを、押て被申しは、如何なる所存や、是我意を恣にせむとの事なら, 或三, 元和七年六月五日, 三歳こして家督とは誤な, り、十一歳にて家を繼, 金二千五百兩・米二千石, 寛永十五年戊寅八月四卒、法各秋月, 從五位下、童名國, 松、又法師と名く, を諸士に配り授くと云、, 院香林清感禪定尼、廟ハ讃州高松に在、, には不見、訝し、○中略, 此説、古今盛記ニ載、家系, ○中, 高次より野々村九郎左衞門召抱可申との指圖に因て、家の長生駒將監等を初として、相談に及所に、高次, の定めし藏入高七万石の外、賜ふへき地もあらされは、又重て急き飛脚を以て、前段相訴ひ申せしに、案, 所に、總高六千二百餘石と有、されハとて、此高の中より野々村を召抱しと也、生駒將監等御定置れし藏入高, 略, 甲さむ、如何すへきと相談、更に不決時に、三野四郎左衞門申ハ、しからは國中の開地あらむとて、新田相改る, 石の知行を割出し、野々村抱ひ入るならてハあらし、左すれハ野々村ハ君の召抱にてはなくて、朋輩の助情とや, の外に、只管野々村召抱可申と、押て返答に及はれしかば、此上ハ是非もなし、千石以上の面々高に應し、七百, 俊ラシテ野, 高俊繼グ, 藤堂高次高, 土井利勝ノ, 々村九郎左, 女ヲ娶ル, 衞門ヲ召抱, ヽシム, 四二一

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  • 三歳こして家督とは誤な
  • り、十一歳にて家を繼
  • 金二千五百兩・米二千石
  • 寛永十五年戊寅八月四卒、法各秋月
  • 從五位下、童名國
  • 松、又法師と名く
  • を諸士に配り授くと云、
  • 院香林清感禪定尼、廟ハ讃州高松に在、
  • には不見、訝し、○中略
  • 此説、古今盛記ニ載、家系
  • ○中
  • 高次より野々村九郎左衞門召抱可申との指圖に因て、家の長生駒將監等を初として、相談に及所に、高次
  • の定めし藏入高七万石の外、賜ふへき地もあらされは、又重て急き飛脚を以て、前段相訴ひ申せしに、案
  • 所に、總高六千二百餘石と有、されハとて、此高の中より野々村を召抱しと也、生駒將監等御定置れし藏入高
  • 甲さむ、如何すへきと相談、更に不決時に、三野四郎左衞門申ハ、しからは國中の開地あらむとて、新田相改る
  • 石の知行を割出し、野々村抱ひ入るならてハあらし、左すれハ野々村ハ君の召抱にてはなくて、朋輩の助情とや
  • の外に、只管野々村召抱可申と、押て返答に及はれしかば、此上ハ是非もなし、千石以上の面々高に應し、七百

頭注

  • 俊ラシテ野
  • 高俊繼グ
  • 藤堂高次高
  • 土井利勝ノ
  • 々村九郎左
  • 女ヲ娶ル
  • 衞門ヲ召抱
  • ヽシム

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  • 四二一

注記 (47)

  • 1118,656,62,2175學頭高次、高俊幼なくして國政の亂れむ事をおそれて、万裁判す、數々の條目を定む
  • 1003,659,61,2172と云々、此頃に當て、藤堂にて、我在所勢〓安濃郡津より、西嶋八兵衞と云者を遣し
  • 888,659,62,2179て、大池九十餘ケ所を鑿て、耕農の用に便ならしむ、又高次より野々村九郎左衞門と
  • 1555,600,58,282壹岐守高俊
  • 1222,653,60,464傳ニ曰、高俊三歳
  • 281,662,47,1498む、万截判すへきものゝ、かくの指圖はあるましき、能く心を付て見へき也、
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  • 774,665,60,2174いふ者、尾州の成瀬隼人正より頼まれしとて、高俊方へ、七百石にて召抱被申へしと
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