『大日本史料』 12編 41 元和七年雑載 p.157

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天正八年、孝高我家の旗を仕立、播〓姫路の村惣社大明神の前にて、中白の旗六流を擧ら, 毛屋主水を以、假に旗を司らしむ、孝高豐前入國の後は、旗數を増て十二流とし、別に吹拔, る、孝高宣ひけるは、汝は左の手難叶候間、向後自身の働すへからす、終に可被討也、汝は敵, て、行伍の進退をなさしめ、勝事を一時に決せし事度々也、詳成豆はことなかけれは、爰に, の機を見る事に天性長する所也、旗を預るへしとて、天正十年、山崎合戰の時、初めて次貞, わり付られ、鐵炮打捨て、刀を拔、其敵を片手にて切留る、是今日の一番首也、孝高感し給ふ、, に持たる鐵炮にうけなかす、其餘り太刀にて、次貞か左の指の本より手くひまて、たつに, 佐、其家老祖父江右衞門尉を討取、秀吉公の御感に預りける、天正七年、播〓府の城に孝高, 下に下り、敵を追て柵をくゝり出る所を、敵走り寄、刀を以拜み打にしけるを、次貞、左の手, 略す、慶長九年、家康公東征の時、長政も從行給ひしかは、此時次貞五十一歳、其年老たる故、, を旗奉行と定られける故、此後は自身の働はなかりけり、日本・朝鮮にて、其能敵の機を見, 付の首十八討取、殊に天正四年十一月、孝高佐用の城を攻給ふ時、城主福原主膳、伊王野土, 籠り給ふを、毛利家より攻し時、次貞一番に城戸口より切て出けるか、鐵炮を持なから城, 守に仕、奴僕たり、新兵衞は天正四年に死す、次貞は武勇人に勝れ、度々高名有、一生の間、甲, 兵衞黒田重, 隆ニ仕フト, 次貞ノ父新, 中白ノ旗, ノ説, 元和七年雜載, 一五七

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  • 兵衞黒田重
  • 隆ニ仕フト
  • 次貞ノ父新
  • 中白ノ旗
  • ノ説

  • 元和七年雜載

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  • 一五七

注記 (21)

  • 989,629,78,2216天正八年、孝高我家の旗を仕立、播〓姫路の村惣社大明神の前にて、中白の旗六流を擧ら
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