『大日本史料』 12編 41 元和七年雑載 p.161

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一族數多關東にあるを聞て、圓都に仰て、其妻子を大坂につかはしむへき旨、數度に及, 沙汰あり、然とも、圓都遂に出入せず、惣〓校となりて、若かの家に出入せは、其罪尤にも, 加らん、今其然ざることを感して、其罪を赦さる、鈞命によりて、江戸に來り、台徳院殿及, 十八年、小田原落城して、北條氏政死に臨とき、北條の一族一二人、及圓都、側に侍す、大權, 三成謀叛のとき、使を洛中につかはし、一族の關東にある者をしるして沙汰す、圓都が, といへども、圓都きかず、あまつさへ、圓都が一族、武州忍の城主成田氏、人質となりて大, をたまはる、慶長十八年、大久保石見守御勘氣を蒙る時、石見が宅に、響者の出入すると, に、番を置、門戸をかたく守る、しかりといへとも、圓都遂にきかず、大權現、石田を誅伐し, 坂にあるを、圓都ひそかにさそひ出してかくし置、町中の人此事を聞て、石田に告る故, て後、大津に至り給ふとき、圓都、大權現に拜〓し奉てまつる、御感ありて、白銀・御夜衣等, か家を守らしめ、やぶる事なからしむ、其後鈞命によりて、京におもむく、石田治部少輔, 現、圓都をたすけんとおほしめし、井伊兵部少輔に仰て、圓都を城外にいたさしむ、此時、, 氏政、口に辭世の頌句を誦して、圓都にしめし、遂にこれを出す、朝比奈左近をして、圓都, へる、其後菅沼新八郎、御書・御誓紙を井伊谷の三人の者に傳へ、遂に御味方に屬す、天正, 京都ニ住ス, 成田長忠, 總檢校ト爲, 元和七年雜載, 一六一

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  • 京都ニ住ス
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  • 總檢校ト爲

  • 元和七年雜載

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  • 一六一

注記 (19)

  • 1092,692,72,2141一族數多關東にあるを聞て、圓都に仰て、其妻子を大坂につかはしむへき旨、數度に及
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