『大日本史料』 12編 44 元和八年正月~同年六月 p.345

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候へと申付らるれは、根來是に應せす、我ら義、上ゟ與力に御預け被成たる者にて、普請, との義ならすや、然るに下知に背く事、奇怪也とて、公儀へも斷なく、一こ殺害せしは、, 給ひ、夜通しに女輿にめして、宇都宮を過させ給ひ、御道より御馬にて、急き江戸へ還, 差置、各居宅を明渡す御作法なれは、其用意する事也、兼而根來衆百人上野介に預置る, 宿陣有り、城主ゟ普請し、御供の面この宿所共を城内に取拵、我家中の妻子等は遠所に, 奉せし也、, 足輕の致す事は罷成ぬと申切、働かす、上野介怒て、我に預置れたるは、畢竟召仕へし, の城の御泊りを止られ、日光へ直に渡御ありて、還御には、台駕に松平越中守貞綱を入, ひて、御成の御道筋へ女中を御使にて、右の堀市正か密書を捧け給ひしかは、則宇都宮, 〔故老諸談〕下, ゝ、時に城中普請、人仕ひ乏きにより、はか行さるを怒て、根來の者に、普請の働き仕, 相國様、近き内、日光山御參詣の用意有、御法事を取行れん爲なり、御道筋の諸城御, 入あらせ給ふ、其時歩行御供の達者なるものなくして、石谷十藏貞清こそ、江戸まて供, りも宜しきゆへ、密書を認め、家昌の母君加納殿へ差越處、御披見の上、大に驚かせ給, -, 元和八年四月二十日, ○下略、本多正純處罰ノ縁由ノコ, ○中, トニカヽル、十月一日ノ條ニ收ム、, 略, ノ密書ヲ秀, 忠ニ捧グ, 徳川氏利重, 元和八年四月二十日, 三四五

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  • ○下略、本多正純處罰ノ縁由ノコ
  • ○中
  • トニカヽル、十月一日ノ條ニ收ム、

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  • ノ密書ヲ秀
  • 忠ニ捧グ
  • 徳川氏利重

  • 元和八年四月二十日

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  • 三四五

注記 (25)

  • 575,757,63,2113候へと申付らるれは、根來是に應せす、我ら義、上ゟ與力に御預け被成たる者にて、普請
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