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て、命を傳へらる、烈公御禮として、執政へ參り給ふ、, も隔り候ひぬ、殊に今は孫か時なれは、おほやけの御咎たになくは、少しの助力遣し, 免のよし、御城にて執政より、牧野織部ニ申渡されけれは、牧野早速東邸に來臨あつ, て、召仕ひ度こそ候へとなり、されとも何の御指圖もなし、承應三年三月廿二日、執政, 酒井雅樂頭ゟ、正木預られしはいかなる子細にやと尋らる、年久しき事なれは、具に覺, へ給はすとて、御旗本久世三四郎を憑ませ、正木左近の許を尋給ふに、書附兩通を越れ, ぬ、其書にも、何の子細なきよしを載に、扨此旨を酒井か許に御遣されけれは、雅樂頭, 一段宜しきとの返答なり、其後寛文元年十二月廿日、正木か孫勝手次第たるへしと御赦, 烈公、彼正木か事のあらましを筆記し、關東に願給ふは、大膳を預られしは、はや年月, 市正と改む、同九年三月廿二日、番頭となり、主計と改む、延寶五年七月十五日、足輕, 廿人を預らる、其子源助盲人なれは、友水と號す、, 同二年十月十五日、市之介に祿千五百石賜ひ、寄合組となされ、, 「されは主計か家、嗣へき子なく、宮城大藏か子何がし, を養ふ, り、甚十郎死し、其子市之介に, 正木か家譜をみるに、甚十郎か時より, 至ても、猶八百俵賜ひし也、, は、扶助として、米八百俵、烈公より賜, あり、寶永のはしめ、世を, はやふして、家絶しなり, 此友水に、男子一人あり、松之介といふ、江戸, にあつて、幕下の士正木六大夫の家に養はれ居, るゝによつて、五月十五日、召出され、祖父の名甚十郎に成、山脇傳内か組に屬す、同六月三日、米三百俵賜る旨〓, けるを、元祿九年、大久保隱岐守より、奧山玄庵を使として、池田大學まて、件の松之介めし出され賜るへき旨頼栽, 六之介, か弟、, 幕府之ヲ許, 光政時堯ノ, 養子甚十郎, ヲ扶助ス, 抱へムトス, 孫市之介ヲ, ス, 元和八年六月十九日, 一九一
割注
- り、甚十郎死し、其子市之介に
- 正木か家譜をみるに、甚十郎か時より
- 至ても、猶八百俵賜ひし也、
- は、扶助として、米八百俵、烈公より賜
- あり、寶永のはしめ、世を
- はやふして、家絶しなり
- 此友水に、男子一人あり、松之介といふ、江戸
- にあつて、幕下の士正木六大夫の家に養はれ居
- るゝによつて、五月十五日、召出され、祖父の名甚十郎に成、山脇傳内か組に屬す、同六月三日、米三百俵賜る旨〓
- けるを、元祿九年、大久保隱岐守より、奧山玄庵を使として、池田大學まて、件の松之介めし出され賜るへき旨頼栽
- 六之介
- か弟、
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- 幕府之ヲ許
- 光政時堯ノ
- 養子甚十郎
- ヲ扶助ス
- 抱へムトス
- 孫市之介ヲ
- ス
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- 元和八年六月十九日
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- 一九一
注記 (35)
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