『大日本史料』 12編 45 元和八年六月~同年七月 p.357

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聖なる殉教者等の聖遺物を掠め取らんとして、夕刻迄留まれり、, 害關係を有つオランダ人に、來りて處刑を檢證せしむる時間を供せんとする要望ありし, なり、キリスト教徒等は圍垣を離れず、遠方より聖なる遺骸を拜し、之を掠め取る時刻, 奉行等は、遺骸を積重ねて監視を附すべき事を命じたり、民衆に恐怖の念を與へ、又利, 正午頃に婦人等及び兒童等は最初の食事を攝る爲め退出せり、男子等は、夜陰に乘じて, んを歌ひたり、其の諧調は實に天使をも恍惚たらしむべきものなりき、, の到來するを待ちたり、五日を過ぎて、オランダ人の首長も終に姿を現はさず、八月一二, 依りて集められ、兩パードレ及びヨアキムの物を除きて、微細に分割せられたり、〔g, 十三日, 、信徒等にとりては、刑柱の殘片も血潮の浸みた, の夕刻に、番卒等は退去せり、殉教者等の聖遺物はキリスト教徒等に, ノ會に供與し、同會はマニラの聖ペドロ修道院に移送して、其の教會堂の主祭壇の下に安置せり、遺骨の一片は刑, 〓調査書proces apostolique二七八頁)、一六五一年(○慶安四年ニ當ル)耶蘇會のパードレ等は之をアウグステ, ○元和八年七月, 十七日ニ當ル、, 行等の特別の配慮に依りて、長崎の一貴人に交附, せられたり(教皇廳調査書七五頁及び二七九頁)、, キリスト教徒なる寡婦イネス・コレアの手に移りたり、此の婦人は一六二四年(○寛永元年ニ當ル)にマカオに追放, られ、彼に依りて、その刑柱と共にマカオに運ばれたり、ゴベアの死後、耶蘇會は此の聖なる遺骸を保有せり(教自, ドレ・ド・ツニガの遺骸は、長崎在住のポルトガル人貴族マルタン・ド・ゴベア(martin de govea)の手に保管せ, 原註、, せられしが、之を持渡りて、ドミニコ會に供與せり、修道士等は其の頭部も同じく囘收せり、ヨアキムの遺骸は、〓, の所在は明かならず、パードレ・フロレスの遺骸は始めアンドレ・トモナガ(andre tomonaga)に與へられ、次で, 柱と共にサラマンカのアウグスティノ會に送られたり(シカルド、二〇七、一)、頭部は完全に保管せられしが、其, パー, 〓調査書proces apostolique二七八頁)、一六五一年(○慶安四年ニ當ル)耶蘇會のパードレ等は之をアウグステ, ノ會に供與し、同會はマニラの聖ペドロ修道院に移送して、其の教會堂の主祭壇の下に安置せり、遺骨の一片は耳, ヲ附ス, 信徒等聖遺, 遺骸ニ監視, 物ヲ奪取ス, 元和八年七月十三日, 三五七, 元和八年七月十三日

割注

  • ○元和八年七月
  • 十七日ニ當ル、
  • 行等の特別の配慮に依りて、長崎の一貴人に交附
  • せられたり(教皇廳調査書七五頁及び二七九頁)、
  • キリスト教徒なる寡婦イネス・コレアの手に移りたり、此の婦人は一六二四年(○寛永元年ニ當ル)にマカオに追放
  • られ、彼に依りて、その刑柱と共にマカオに運ばれたり、ゴベアの死後、耶蘇會は此の聖なる遺骸を保有せり(教自
  • ドレ・ド・ツニガの遺骸は、長崎在住のポルトガル人貴族マルタン・ド・ゴベア(martin de govea)の手に保管せ
  • 原註、
  • せられしが、之を持渡りて、ドミニコ會に供與せり、修道士等は其の頭部も同じく囘收せり、ヨアキムの遺骸は、〓
  • の所在は明かならず、パードレ・フロレスの遺骸は始めアンドレ・トモナガ(andre tomonaga)に與へられ、次で
  • 柱と共にサラマンカのアウグスティノ會に送られたり(シカルド、二〇七、一)、頭部は完全に保管せられしが、其
  • パー
  • 〓調査書proces apostolique二七八頁)、一六五一年(○慶安四年ニ當ル)耶蘇會のパードレ等は之をアウグステ
  • ノ會に供與し、同會はマニラの聖ペドロ修道院に移送して、其の教會堂の主祭壇の下に安置せり、遺骨の一片は耳

頭注

  • ヲ附ス
  • 信徒等聖遺
  • 遺骸ニ監視
  • 物ヲ奪取ス

  • 元和八年七月十三日

ノンブル

  • 三五七
  • 元和八年七月十三日

注記 (34)

  • 1634,680,61,1622聖なる殉教者等の聖遺物を掠め取らんとして、夕刻迄留まれり、
  • 1394,676,66,2235害關係を有つオランダ人に、來りて處刑を檢證せしむる時間を供せんとする要望ありし
  • 1277,683,68,2229なり、キリスト教徒等は圍垣を離れず、遠方より聖なる遺骸を拜し、之を掠め取る時刻
  • 1509,682,68,2233奉行等は、遺骸を積重ねて監視を附すべき事を命じたり、民衆に恐怖の念を與へ、又利
  • 1746,685,66,2224正午頃に婦人等及び兒童等は最初の食事を攝る爲め退出せり、男子等は、夜陰に乘じて
  • 1867,685,59,1787んを歌ひたり、其の諧調は實に天使をも恍惚たらしむべきものなりき、
  • 1165,678,66,2226の到來するを待ちたり、五日を過ぎて、オランダ人の首長も終に姿を現はさず、八月一二
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  • 1062,679,55,165十三日
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  • 731,686,50,2220〓調査書proces apostolique二七八頁)、一六五一年(○慶安四年ニ當ル)耶蘇會のパードレ等は之をアウグステ
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