『大日本史料』 12編 47 元和八年八月 p.57

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屋を限、所せきに集まします、其時御鑓の間にて老中へ申けるは、か程座席・庭上迄, 書を奉待、被仰樣にと言上あれは、匠作公聞食て、年寄はなくて口上不働、御名代私, とひ集たり、此時備後・主計・丹波三官同道に奧御書院へ參られ、何侍中罷出、御掟, に仰付給はんと御意なさる、三官御尤と承、然者いざ更者罷出よと、三官同道申、御, 廣間へ罷出、見渡たれは、御家中の侍、或奉行・代官、御鑓の間より敷臺・見せ・馬, たり、侍奉公人たる身は、其家其主人をは末代離るましとおもひても、事の縁により, 當日不殘被罷出、見せ・馬屋より敷臺・廣間・御鑓の間を限、諸侍並居、縁廻まてつ, て思はす牢人する事有、さる時、御身他國に床りなき時は、此時の談合に加りたりと, 丹州、さはおほさぬかとあれは、兩人も備州のお申尤也、書持給へと中されけれは、, 扶持國人、皆以明こ後日御屋敷へ罷出へし、從匠作公被仰渡趣有と、殘なく御觸にて, 各左樣に思召者、所持致さんと書たる目録、普顯記の中へ入置也、, 此目録見せ給へは、慥成者也と見られ、請人なくても有付やすき事有へし、主計殿・, 一目録相定、翌ウ日より御家中侍中不殘、其外奉行・代官、或は無足・小扶持迄も、蒙御, 懸川よりの仕置人、角申備後守も同名彦作が跡をつぎ、今迄は御後見の役と仰付られ, 元和八年八月十四日, 申渡ス, 録ノ旨ヲ家, 家中ノ土ニ, 名代トシテ, 家時康豐ノ, 中ノ士ニ宣, 改替ノ旨ヲ, 仕置改替目, ブ, 元和八年八月十四日, 五七

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  • 申渡ス
  • 録ノ旨ヲ家
  • 家中ノ土ニ
  • 名代トシテ
  • 家時康豐ノ
  • 中ノ士ニ宣
  • 改替ノ旨ヲ
  • 仕置改替目

  • 元和八年八月十四日

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  • 五七

注記 (26)

  • 353,718,59,2180屋を限、所せきに集まします、其時御鑓の間にて老中へ申けるは、か程座席・庭上迄
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