『大日本史料』 12編 47 元和八年八月 p.75

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庸を行へとまします、年こ憐愍をたれ給へは、一端の立用に指て痛とも罷成まし、され, れは、丹波守御返事に、仰のことく政は民を育道にてまします、雖然、古き書にも中, せされは、其時匠作宣ふ、是にて一端には極かたし、先各歸りて分別し給へ、從是後, 役前を召上給ふといへ共、是は只物の數にあらす、されは少この夫役を御用捨有て、, の明事有へからす、されは丹波守存分のことくなされん、雖然侍分は以儀理堪忍有, されけれは、各聞給ひて、尤と同る人も有、又諸人の歎いかならんと、銘この心一同, 奉行人へは相應の徳役を宛付、或は切米・扶持取の無足人へは隨分こニ御合力米の中, を引、侍中へは高百石ニ付何程との御合力米貳三ケ年は御立用にもなされんやと、申, 代より、かゝる横役大分御用捨有しを、近年忠義公手前つまりて、先例を起し、且こ, 百性には年中に貳ケ月爲御雇分門役一間こいか程と銀子にて召上られ、諸代官或は物, へし、民は是國の元成に、若土民つかれてはいかゝあらん、其得心肝要ならんと仰あ, も、公儀の役儀勤のため、國中へ私役をかけ納取たりと承る、然に御當家一豐公の御, 波守此五臣へ仰遣されけるは、一先諸人之痛はあらんなれ共、其段を堪へては永代埓, 日に仰入られんと、皆こ〓し給ひ、其後以私、主計頭・備後守・淡路守・主水正・丹, 元和八年八月十四日, 無足人, 康豐ノ意見, 元和八年八月十四日, 七五

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  • 無足人
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  • 元和八年八月十四日

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  • 七五

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