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に從ひ參らせ、, 五月、三河の國長篠の戰に武田四郎か侍大將を〓落して首を取る、, 同十一年、賤か岳の戰ひに一方の大將賜り, 有りしかは、所領加ひ賜ふ, て馳向ひ、自佐く隼人と戰ひ、其鎗を奪て隼人を討て首を得たり、, 隱れさせ給ひし後、豆臣家、越中の守護佐々成政, 伐給ふ時、元秀、傑俊公の先陣打, と同く奉行職に被成、國務の事を沙汰す、十月、父死して家を繼く、同十三年、宗徳公, 安養寺猪之助・江口三郎右衞門・坂井與右衞門等, て高名す、同五年、紀伊の國雜賀御追討に從ひ參らせ、同十年、伊丹・山崎の戰に戰功, て、父子倶に戰功あり、今年、越前の國に移らせ給ひ、所領加へ賜ふ、, 十月、若狹の國へ移らせ給ふ, 又敵と戰, (武生、南條郡), 月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州の, に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々白眞壺と云ふ、天正十二年下, 移スコト、竝二元秀、長秀ヨリ所領ヲ與ヘラル, コト、天正十一年四月二十七日ノ第一條二見ユ, 此時元秀、佐之か鎗を奪ひ、, 何程賜ひしや不詳, を求むと有けれは、我か家の重寶再ひ手に入る事難有事なりと悦事限りなし, 千石、秀ヲ越前北莊二, 三千石、是迄所領如, 英産大谷勝信か重器なり、明應元年壬子三月四日、朝倉義景名古屋に於て是, 其鎗にてしはし戰ひけれは, 云、姓名不詳, 内藏, 刀の切込み出て希代の業物なり、佐とか鎗にて佐之を討留しからに、佐〻切丸と名付へしと仰せけるとなり、又一説, 笹切とも云ふ、希代の利物にて、笹の葉の飄り此刀に觸れて忽に切て落ぬれは、笹切と名付しとそ、此鎗は備前の國, 口五○羽柴秀吉、長, 法師武者なりと, し人不少、是も例の秀吉の奸計にて、主從を離間せん爲なれはにや、成田道徳か事にて、傑俊公御若年にて候得は、大臣, ○秀吉、長重ヲ若狹ニ移スコト、天正謹みて案するに、此年四月宗徳公隱れさせ給ひし後は、御, 物なれはとて、殊の外に御祕藏まし〳〵、御子孫迄の御持鎗に被成ける、薄霜の茶壺は汝か家の重器なれは、永く子孫, 友成か作りし處なりと云、後元秀身まかりし時、此鎗并薄霜の茶壺を傑俊公に奉りしに、鎗は利物にて、殊に功臣の潰, に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々名眞壺と云ふ、天正十二年下, 十三年閏八月十三日ノ第一條二見ユ、{, 豕の大臣なにとなく權を爭ふけしきにて、關白殿へ志を通, 權を爭て國穩ならす、成人の程は暫く國を返し參らすへしとて、越前・加賀の國之を奪取り、剩へ御家人を引すくつて, 千石、, 月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州(, (攝津河邊郡), ○秀吉、長重ヲ若狹二移スコト、天正〓, 介, 合五, 家の大臣なにとなく權を爭, 〔〓アルカ〕, 家の, 從軍ス, 隼人ノ鑓ヲ, 佐々成政討, 丹山崎陣二, 伐陣ニ長重, 二從ヒ佐々, 奪ヒテソノ, 奉行職二就, 雜賀追討伊, 首級ヲ獲ル, 賤ケ岳戰ニ, ヲ任セラル, 軍ノ大將, ク, 元和八年雜載疾病・死歿, 三一六割注
- 移スコト、竝二元秀、長秀ヨリ所領ヲ與ヘラル
- コト、天正十一年四月二十七日ノ第一條二見ユ
- 此時元秀、佐之か鎗を奪ひ、
- 何程賜ひしや不詳
- を求むと有けれは、我か家の重寶再ひ手に入る事難有事なりと悦事限りなし
- 千石、秀ヲ越前北莊二
- 三千石、是迄所領如
- 英産大谷勝信か重器なり、明應元年壬子三月四日、朝倉義景名古屋に於て是
- 其鎗にてしはし戰ひけれは
- 云、姓名不詳
- 内藏
- 刀の切込み出て希代の業物なり、佐とか鎗にて佐之を討留しからに、佐〻切丸と名付へしと仰せけるとなり、又一説
- 笹切とも云ふ、希代の利物にて、笹の葉の飄り此刀に觸れて忽に切て落ぬれは、笹切と名付しとそ、此鎗は備前の國
- 口五○羽柴秀吉、長
- 法師武者なりと
- し人不少、是も例の秀吉の奸計にて、主從を離間せん爲なれはにや、成田道徳か事にて、傑俊公御若年にて候得は、大臣
- ○秀吉、長重ヲ若狹ニ移スコト、天正謹みて案するに、此年四月宗徳公隱れさせ給ひし後は、御
- 物なれはとて、殊の外に御祕藏まし〳〵、御子孫迄の御持鎗に被成ける、薄霜の茶壺は汝か家の重器なれは、永く子孫
- 友成か作りし處なりと云、後元秀身まかりし時、此鎗并薄霜の茶壺を傑俊公に奉りしに、鎗は利物にて、殊に功臣の潰
- に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々名眞壺と云ふ、天正十二年下
- 十三年閏八月十三日ノ第一條二見ユ、{
- 豕の大臣なにとなく權を爭ふけしきにて、關白殿へ志を通
- 權を爭て國穩ならす、成人の程は暫く國を返し參らすへしとて、越前・加賀の國之を奪取り、剩へ御家人を引すくつて
- 千石、
- 月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州(
- (攝津河邊郡)
- ○秀吉、長重ヲ若狹二移スコト、天正〓
- 介
- 合五
- 家の大臣なにとなく權を爭
- 〔〓アルカ〕
- 家の
頭注
- 從軍ス
- 隼人ノ鑓ヲ
- 佐々成政討
- 丹山崎陣二
- 伐陣ニ長重
- 二從ヒ佐々
- 奪ヒテソノ
- 奉行職二就
- 雜賀追討伊
- 首級ヲ獲ル
- 賤ケ岳戰ニ
- ヲ任セラル
- 軍ノ大將
- ク
柱
- 元和八年雜載疾病・死歿
ノンブル
- 三一六
注記 (64)
- 316,661,54,352に從ひ參らせ、
- 1799,661,59,1696五月、三河の國長篠の戰に武田四郎か侍大將を〓落して首を取る、
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- 1554,654,57,699有りしかは、所領加ひ賜ふ
- 930,661,59,1702て馳向ひ、自佐く隼人と戰ひ、其鎗を奪て隼人を討て首を得たり、
- 1055,658,59,1300隱れさせ給ひし後、豆臣家、越中の守護佐々成政
- 1053,2062,58,868伐給ふ時、元秀、傑俊公の先陣打
- 1176,664,62,2266と同く奉行職に被成、國務の事を沙汰す、十月、父死して家を繼く、同十三年、宗徳公
- 1301,1634,60,1307安養寺猪之助・江口三郎右衞門・坂井與右衞門等
- 1670,663,65,2264て高名す、同五年、紀伊の國雜賀御追討に從ひ參らせ、同十年、伊丹・山崎の戰に戰功
- 1424,664,63,1820て、父子倶に戰功あり、今年、越前の國に移らせ給ひ、所領加へ賜ふ、
- 436,2155,54,766十月、若狹の國へ移らせ給ふ
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- 543,662,46,2255月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州の
- 586,666,46,2256に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々白眞壺と云ふ、天正十二年下
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- 791,657,46,2257笹切とも云ふ、希代の利物にて、笹の葉の飄り此刀に觸れて忽に切て落ぬれは、笹切と名付しとそ、此鎗は備前の國
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- 341,1041,42,1887○秀吉、長重ヲ若狹ニ移スコト、天正謹みて案するに、此年四月宗徳公隱れさせ給ひし後は、御
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- 587,663,45,2257に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々名眞壺と云ふ、天正十二年下
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- 1733,2357,34,198(攝津河邊郡)
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