『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.316

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に從ひ參らせ、, 五月、三河の國長篠の戰に武田四郎か侍大將を〓落して首を取る、, 同十一年、賤か岳の戰ひに一方の大將賜り, 有りしかは、所領加ひ賜ふ, て馳向ひ、自佐く隼人と戰ひ、其鎗を奪て隼人を討て首を得たり、, 隱れさせ給ひし後、豆臣家、越中の守護佐々成政, 伐給ふ時、元秀、傑俊公の先陣打, と同く奉行職に被成、國務の事を沙汰す、十月、父死して家を繼く、同十三年、宗徳公, 安養寺猪之助・江口三郎右衞門・坂井與右衞門等, て高名す、同五年、紀伊の國雜賀御追討に從ひ參らせ、同十年、伊丹・山崎の戰に戰功, て、父子倶に戰功あり、今年、越前の國に移らせ給ひ、所領加へ賜ふ、, 十月、若狹の國へ移らせ給ふ, 又敵と戰, (武生、南條郡), 月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州の, に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々白眞壺と云ふ、天正十二年下, 移スコト、竝二元秀、長秀ヨリ所領ヲ與ヘラル, コト、天正十一年四月二十七日ノ第一條二見ユ, 此時元秀、佐之か鎗を奪ひ、, 何程賜ひしや不詳, を求むと有けれは、我か家の重寶再ひ手に入る事難有事なりと悦事限りなし, 千石、秀ヲ越前北莊二, 三千石、是迄所領如, 英産大谷勝信か重器なり、明應元年壬子三月四日、朝倉義景名古屋に於て是, 其鎗にてしはし戰ひけれは, 云、姓名不詳, 内藏, 刀の切込み出て希代の業物なり、佐とか鎗にて佐之を討留しからに、佐〻切丸と名付へしと仰せけるとなり、又一説, 笹切とも云ふ、希代の利物にて、笹の葉の飄り此刀に觸れて忽に切て落ぬれは、笹切と名付しとそ、此鎗は備前の國, 口五○羽柴秀吉、長, 法師武者なりと, し人不少、是も例の秀吉の奸計にて、主從を離間せん爲なれはにや、成田道徳か事にて、傑俊公御若年にて候得は、大臣, ○秀吉、長重ヲ若狹ニ移スコト、天正謹みて案するに、此年四月宗徳公隱れさせ給ひし後は、御, 物なれはとて、殊の外に御祕藏まし〳〵、御子孫迄の御持鎗に被成ける、薄霜の茶壺は汝か家の重器なれは、永く子孫, 友成か作りし處なりと云、後元秀身まかりし時、此鎗并薄霜の茶壺を傑俊公に奉りしに、鎗は利物にて、殊に功臣の潰, に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々名眞壺と云ふ、天正十二年下, 十三年閏八月十三日ノ第一條二見ユ、{, 豕の大臣なにとなく權を爭ふけしきにて、關白殿へ志を通, 權を爭て國穩ならす、成人の程は暫く國を返し參らすへしとて、越前・加賀の國之を奪取り、剩へ御家人を引すくつて, 千石、, 月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州(, (攝津河邊郡), ○秀吉、長重ヲ若狹二移スコト、天正〓, 介, 合五, 家の大臣なにとなく權を爭, 〔〓アルカ〕, 家の, 從軍ス, 隼人ノ鑓ヲ, 佐々成政討, 丹山崎陣二, 伐陣ニ長重, 二從ヒ佐々, 奪ヒテソノ, 奉行職二就, 雜賀追討伊, 首級ヲ獲ル, 賤ケ岳戰ニ, ヲ任セラル, 軍ノ大將, ク, 元和八年雜載疾病・死歿, 三一六

割注

  • 移スコト、竝二元秀、長秀ヨリ所領ヲ與ヘラル
  • コト、天正十一年四月二十七日ノ第一條二見ユ
  • 此時元秀、佐之か鎗を奪ひ、
  • 何程賜ひしや不詳
  • を求むと有けれは、我か家の重寶再ひ手に入る事難有事なりと悦事限りなし
  • 千石、秀ヲ越前北莊二
  • 三千石、是迄所領如
  • 英産大谷勝信か重器なり、明應元年壬子三月四日、朝倉義景名古屋に於て是
  • 其鎗にてしはし戰ひけれは
  • 云、姓名不詳
  • 内藏
  • 刀の切込み出て希代の業物なり、佐とか鎗にて佐之を討留しからに、佐〻切丸と名付へしと仰せけるとなり、又一説
  • 笹切とも云ふ、希代の利物にて、笹の葉の飄り此刀に觸れて忽に切て落ぬれは、笹切と名付しとそ、此鎗は備前の國
  • 口五○羽柴秀吉、長
  • 法師武者なりと
  • し人不少、是も例の秀吉の奸計にて、主從を離間せん爲なれはにや、成田道徳か事にて、傑俊公御若年にて候得は、大臣
  • ○秀吉、長重ヲ若狹ニ移スコト、天正謹みて案するに、此年四月宗徳公隱れさせ給ひし後は、御
  • 物なれはとて、殊の外に御祕藏まし〳〵、御子孫迄の御持鎗に被成ける、薄霜の茶壺は汝か家の重器なれは、永く子孫
  • 友成か作りし處なりと云、後元秀身まかりし時、此鎗并薄霜の茶壺を傑俊公に奉りしに、鎗は利物にて、殊に功臣の潰
  • に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々名眞壺と云ふ、天正十二年下
  • 十三年閏八月十三日ノ第一條二見ユ、{
  • 豕の大臣なにとなく權を爭ふけしきにて、關白殿へ志を通
  • 權を爭て國穩ならす、成人の程は暫く國を返し參らすへしとて、越前・加賀の國之を奪取り、剩へ御家人を引すくつて
  • 千石、
  • 月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州(
  • (攝津河邊郡)
  • ○秀吉、長重ヲ若狹二移スコト、天正〓
  • 合五
  • 家の大臣なにとなく權を爭
  • 〔〓アルカ〕
  • 家の

頭注

  • 從軍ス
  • 隼人ノ鑓ヲ
  • 佐々成政討
  • 丹山崎陣二
  • 伐陣ニ長重
  • 二從ヒ佐々
  • 奪ヒテソノ
  • 奉行職二就
  • 雜賀追討伊
  • 首級ヲ獲ル
  • 賤ケ岳戰ニ
  • ヲ任セラル
  • 軍ノ大將

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 三一六

注記 (64)

  • 316,661,54,352に從ひ參らせ、
  • 1799,661,59,1696五月、三河の國長篠の戰に武田四郎か侍大將を〓落して首を取る、
  • 1547,1821,59,1107同十一年、賤か岳の戰ひに一方の大將賜り
  • 1554,654,57,699有りしかは、所領加ひ賜ふ
  • 930,661,59,1702て馳向ひ、自佐く隼人と戰ひ、其鎗を奪て隼人を討て首を得たり、
  • 1055,658,59,1300隱れさせ給ひし後、豆臣家、越中の守護佐々成政
  • 1053,2062,58,868伐給ふ時、元秀、傑俊公の先陣打
  • 1176,664,62,2266と同く奉行職に被成、國務の事を沙汰す、十月、父死して家を繼く、同十三年、宗徳公
  • 1301,1634,60,1307安養寺猪之助・江口三郎右衞門・坂井與右衞門等
  • 1670,663,65,2264て高名す、同五年、紀伊の國雜賀御追討に從ひ參らせ、同十年、伊丹・山崎の戰に戰功
  • 1424,664,63,1820て、父子倶に戰功あり、今年、越前の國に移らせ給ひ、所領加へ賜ふ、
  • 436,2155,54,766十月、若狹の國へ移らせ給ふ
  • 1796,2705,55,223又敵と戰
  • 510,1171,36,237(武生、南條郡)
  • 543,662,46,2255月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州の
  • 586,666,46,2256に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々白眞壺と云ふ、天正十二年下
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  • 422,659,43,1428を求むと有けれは、我か家の重寶再ひ手に入る事難有事なりと悦事限りなし
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  • 1581,1400,42,379三千石、是迄所領如
  • 465,656,43,1439英産大谷勝信か重器なり、明應元年壬子三月四日、朝倉義景名古屋に於て是
  • 915,2383,40,503其鎗にてしはし戰ひけれは
  • 1784,2383,39,246云、姓名不詳
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  • 834,661,44,2256刀の切込み出て希代の業物なり、佐とか鎗にて佐之を討留しからに、佐〻切丸と名付へしと仰せけるとなり、又一説
  • 791,657,46,2257笹切とも云ふ、希代の利物にて、笹の葉の飄り此刀に觸れて忽に切て落ぬれは、笹切と名付しとそ、此鎗は備前の國
  • 1453,2520,41,412口五○羽柴秀吉、長
  • 1824,2378,43,283法師武者なりと
  • 217,658,44,2266し人不少、是も例の秀吉の奸計にて、主從を離間せん爲なれはにや、成田道徳か事にて、傑俊公御若年にて候得は、大臣
  • 341,1041,42,1887○秀吉、長重ヲ若狹ニ移スコト、天正謹みて案するに、此年四月宗徳公隱れさせ給ひし後は、御
  • 667,660,45,2263物なれはとて、殊の外に御祕藏まし〳〵、御子孫迄の御持鎗に被成ける、薄霜の茶壺は汝か家の重器なれは、永く子孫
  • 711,661,45,2267友成か作りし處なりと云、後元秀身まかりし時、此鎗并薄霜の茶壺を傑俊公に奉りしに、鎗は利物にて、殊に功臣の潰
  • 587,663,45,2257に傳ふへしとて返させ給ひける、其後秀爲か遺物として、泰雲公へ獻せしと也、此壺は舊々名眞壺と云ふ、天正十二年下
  • 299,1045,42,780十三年閏八月十三日ノ第一條二見ユ、{
  • 298,1835,42,1095豕の大臣なにとなく權を爭ふけしきにて、關白殿へ志を通
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  • 1413,2504,39,94千石、
  • 543,662,46,2246月二十八日、元秀越前の國府中の城下市店にて買求めし處とそ、然るに其筒の底に銘して此器名を薄霜と云、是尾州(
  • 1733,2357,34,198(攝津河邊郡)
  • 342,1038,42,798○秀吉、長重ヲ若狹二移スコト、天正〓
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  • 984,289,39,202隼人ノ鑓ヲ
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