『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.339

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用事を辨したる故、その結緒によつて滿兼をたより尋ね來る、次に惣左衞門・雅樂之, 隼人とて岩付の家臣也、滿兼岩付澁井くるわに居給いたる内、來てはたらきをなし、, を射る事名人也、玄蕃は才覺人にすくれて辯舌よし、右五人は對馬守仕付る也、其比, 付、呼もどし給ふ也、次に鈴木新左衞門、是は築紫之ものなるが、十六歳之時、人を, 一滿兼登戸村を取立、居住し給ふて、與左衞門・藤左衞門・新左衞門・勘解由・玄蕃は, 具には別ユ書付有之故に、爰に略す、, 畑をあづけ置、惡黨を追放し、實心なる者を招寄、段〻百姓を仕付、登戸村を取立ル、, 田勘解由、次に長島玄蕃、以上五人也、與左衞門は算勘人にすくれたり、勘解由は弓, 住僧となし、山を發、溝をほり、神社を再興し、荒地を開發し、百姓をまねき寄、田, 討て關東へ來りけるを、對馬守けなげ成はたらきを感して登戸へ呼けると也、次に吉, 轉之時、箕田に一族有之ゆへ箕田村へ引越、數十年居けるを、對馬守登戸村を取立ユ, 勿論百姓に仕付、其後に先北根村ゟ善右衞門を招て百姓に仕付、次に隼人、是は染, 松岡山勝願寺無住なれば、滿兼才覺をめぐらし、眞言宗新義之僧圓慶法印をまねいて, 付る也、先大塚與左衞門、次に加藤藤左衞門、是はいにしへ登戸に居住、登戸村皆退, 二來住ス, 太田氏ノ舊, 臣等登戸村, 元和八年雜載疾病・死歿, 三三九

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  • 二來住ス
  • 太田氏ノ舊
  • 臣等登戸村

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 三三九

注記 (19)

  • 300,706,58,2208用事を辨したる故、その結緒によつて滿兼をたより尋ね來る、次に惣左衞門・雅樂之
  • 423,707,59,2172隼人とて岩付の家臣也、滿兼岩付澁井くるわに居給いたる内、來てはたらきをなし、
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