『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.341

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姓を仕付、はやく登戸をにきやかに取立ン事のみ專とし給ふ也、其時は百姓も田地に, 一滿兼當村へ居住は、五年か三年、〓人の内ばかりとおもい給ふよし也、只あけくれ百, かけ、亂入てうたんとす、滿兼長刀を以立むかい、猛威をふるつて切ちらされ、皆ち, ふかく望はなかれとも、まねかるゝ事のもだしかたなくて、五年か三年之内はかりと, 人くにおもいけるよし也、むかしは今とちがいける事共也、, 姓あれは、家と器財は各別、田畑は不殘滿兼方へ返し渡して立退たる也、, 一滿兼は、武州川嶋八林村にて誕生居住也、後に岩付城内澁井くるわにも居所有之、〓, もひけるにや、其後數十人をもよおし、慶長七王寅年十二月十九日夜、大勢來て火を, り〳〵に引けるが、其後あたをなさゝる由、兼住被仰ける也、, 一いにしへより登戸村之百姓、宜事有之歟、或は身上かなわすつぶれ、或は他參等の百, 人以後、箕田村に居給ふ、其後登戸村に居住して登戸村を取立、百姓を仕付、或は他, 〔道祖土氏系圖〕, 村之者へも田地をあづけ、又中野村荒地を發、是を其身のはたらきとし給ふ也、, 康兼, 道祖土豆前守、從, 五位下、更土佐守, ○中, 略, ○道祖土文書所收, ○武藏, 略, 滿兼二返地, 離村スル百, 姓ハ田畑ヲ, ヲ撃退ス, 從弟某等數, 十人ノ襲來, ス, 元和八年雜載疾病・死歿, 三四一

割注

  • 道祖土豆前守、從
  • 五位下、更土佐守
  • ○中
  • ○道祖土文書所收
  • ○武藏

頭注

  • 滿兼二返地
  • 離村スル百
  • 姓ハ田畑ヲ
  • ヲ撃退ス
  • 從弟某等數
  • 十人ノ襲來

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 三四一

注記 (30)

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