『大日本史料』 12編 54 元和八年雑載 p.340

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助・惣右衞門・新右衞門、是等を滿兼招寄、百姓に仕付給ふ、雅樂助悴彌八郎、父稚, 待うけ、數度あたをなすといへとも、滿兼武勇の士なれば、ことともせず追散す、あ, 大間村へ往而、大嶋太郎左衞門同道にて參詣す、滿兼の從弟に、其生付非道にして惡, 樂助をころしたる故、御公儀えうつたへ、彌八郎屋敷にてはりつけにかけ、しるしに, 榎木を植たる也、彌八郎を滿兼からめとらせ給ふ時、善右衞門不はたらき故、滿兼立, 縁兄大嶋太郎左衞門、大間村に居住、滿兼と懇意なる故に、鴻巣勝願寺へ參詣之度に, 勢の者壹人有之、今はていはつするといへとも、いにしへ數度高名をあらそい、滿兼, をそねみけるが、今以滿兼をそねみ、したしき惡友をかたらい、大間と馬室の堺にて, る時夜討にせんと忍び入けるに、飼置し唐犬かけむかつて喰ちらす、あまり無念にお, 寺無住なれば、圓慶法印を招て住寺となし、是を新願寺と定給ふ、其比深井源右衞門, 滿兼は、天照山勝願寺淨土宗圓譽不殘上人を歸依し給い、菩提寺となし、松岡山勝願, 服にて、善右衞門を追放し給い、跡に則善右衞門召仕の彦左衞門を置たまいたる也、, 雅樂助屋敷跡へは、ならのせと村ゟ庄右衞門を招寄、百姓に仕付給ふ也、, ふ百姓等、爰に不書、百姓をしつくる, 其後の百姓、勿, 次第、つふさには別書に有、可見也、, 論成兼の仕付給, 招キテ登戸, 滿兼圓慶ヲ, 村勝願寺ノ, 住持ト爲ス, 元和八年雜載疾病・死歿, 三四〇

割注

  • ふ百姓等、爰に不書、百姓をしつくる
  • 其後の百姓、勿
  • 次第、つふさには別書に有、可見也、
  • 論成兼の仕付給

頭注

  • 招キテ登戸
  • 滿兼圓慶ヲ
  • 村勝願寺ノ
  • 住持ト爲ス

  • 元和八年雜載疾病・死歿

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  • 三四〇

注記 (23)

  • 1783,716,66,2203助・惣右衞門・新右衞門、是等を滿兼招寄、百姓に仕付給ふ、雅樂助悴彌八郎、父稚
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