『大日本維新史料 編年之部』 1編 2 弘化3年6月~同年9月 p.480

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子なり、此度は權現堂堤保ちてきれ水に及はず、殊に, も水損ニ相成候よし、其川下川越領へも切込み、二万五千石程水押ニ相成、其川下戸田の, つら〓、嚴重のありさ〓なり、猶又六月下旬、兩國大川の上し熊谷邊へもきれ込、三万石程, 大橋永代橋は餘程損し相見得候、其外遠境近郷所〻きれ水有之よしなれとも、聞もらし〓, し分は御船手の御船にて、町方し分は町會所よ申札を立て有之、何れも夜は船に高張を建, る事のみ多からん、されとも天明度の洪水にくらふれは、三分し一は水災をまぬかれし樣, 所の土手危く候所、公儀御役人出役、防方被仰付候ニ付、防方行屆無難に相保ち候、其, 渡し、廿八日程留り候よし、其川下千住大橋の左右にむらき、千住邊小塚原邊大水にて、田, 七月朔日頃より、同月十五六日頃迄詰切、もし大水に及ひなば乘入候手筈のよし、尤屋敷, 川下新大橋・兩國大橋・永代橋共、大水急流に押れて危く見へ々れは、防方被仰付、橋〻, の上え大石又は樽へ水を入れ置並へ、其外種〻防きの手當有之、橋〻無難には候得共、新, 石し内にも、溺死のものもこもなきよし、, 納に相成候よし、且又本所邊は格別し大水ニは無之候得共、御助船竪川并横川に充滿し、, 御仁惠有かた幾事にこだ、, 公儀の御手當行屆、御助船早速に漕上り、御すくひ被下しかは、二郷半領・東西葛西領五万, 弘化三年七月是月, 四八〇

  • 弘化三年七月是月

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  • 四八〇

注記 (17)

  • 554,679,59,1313子なり、此度は權現堂堤保ちてきれ水に及はず、殊に
  • 1377,685,62,2226も水損ニ相成候よし、其川下川越領へも切込み、二万五千石程水押ニ相成、其川下戸田の
  • 1494,691,62,2223つら〓、嚴重のありさ〓なり、猶又六月下旬、兩國大川の上し熊谷邊へもきれ込、三万石程
  • 785,682,63,2233大橋永代橋は餘程損し相見得候、其外遠境近郷所〻きれ水有之よしなれとも、聞もらし〓
  • 1609,683,63,2232し分は御船手の御船にて、町方し分は町會所よ申札を立て有之、何れも夜は船に高張を建
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  • 1145,679,62,2237所の土手危く候所、公儀御役人出役、防方被仰付候ニ付、防方行屆無難に相保ち候、其
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