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正路に據らすして、速に利潤を得んと欲し、或ハ外國と爭論を起し、時勢止むへからさるを以て、本國より力を盡し、, を奉する帝王ハ、諸民の爲に多商買の道を開て民蕃殖せり、しかりしゟ器械を造るの術及ひ合離の術, 其爭論を助るに至る、是等の事ニよりて、其商買支那國の官吏と廣東にて爭論の端を開き、終に兵亂を起せしなり、支, 和親を約せり、是よりして支那國古來の政法甚錯亂し、海口五處を開て歐羅巴人交易の地となさしむ、, 殿下に書を奉る、伏して望む、此忠告に因て、其未然の患を免れ給はんことを、, に因て、種〻の奇功を發明して、人力を費さすして貨物を製するを得しかハ、諸邦に商買蔓延して、返て國用乏り至り, 殿下に〓見十るを許さる、, ぬ、中に就て武威世に耀きる英吉利ハ、素より國力豐饒にして、皆功智ありと雖、國用の乏きハ時に甚し、故に商買の, ○近來英吉利國王ゟ、支那國帝に對し兵を出して、烈く戰爭せし本末ハ、我國の舶毎年長崎に到て呈する風説書を見, られて、既に知給ふへし、威武盛なる支那國帝も久〻戰て利あらす、歐羅巴州の兵學に長するに辟易し、終に英吉利と, を許をしゟこのかた、其待遇淺からす、甲必丹も年を期し、, 〓、其〓亂の原を尋るに、今を距ること三十年前、歐羅巴の大亂治平之し時、, 那國にてハ戰爭利なく、國人數千戰死し、且數府を侵掠敗攘せらるゝのみならす、數百萬金を出して火攻の費を贖ふ, 然といへとも、今に至迄書を奉へき緊要のことなく、且交易の事及ひ尋常の風説は技答非亞, す、我も亦信義を以て、こ」の變替なき恩義に答へ奉り、彌貴國の封内をして靜謐に庶民をして安全ならしめんと欲す、, 諸民皆永く治化に浴せん事を願ふ、其時に當て、古賢の教, 乃總督より告奉るを以て、兩國の書を通する事あらさ, りしに、, 兩國の交易に拘るにあらす、貴國の政事に關係することなるを以て、未然の患を憂て、始て, 今爰に觀望し難き一大事起れり、素より, 及ひ和蘭領亞細亞諸島, 〓恩の隆盛, にる、實に感激に勝へ, 日に定れり、此に年を期してと云、蓋近代の事を〓ていへるなり、, 〓て是を領す、此を和關領亞細亞諸島といふ, 自注、兩國の書を通することしといふへ誤にり、慶長十四年己酉七月廿五日・同十七年壬子十月, 神〓ふ和〓國王へ御復書あり、蓋し和蘭歴代治平の日少を以て、文獻ニ徴す〓きしの方によるのみ, 廣州・福州・寧波・圓門・, 改て技答韮, 禾和蘭の人全島を〓ひ、闍瓦刺城〓, 目注、寛政の頃ふ當りテ、拂明察國に「ボナバルテ」しる〓の, 有、國の内興を拂ひ鎭て、自立して王たり、是に於て兵を四, 自注、古は甲必丹、江府の拜禮毎年〓りしに、寛政二年実戌より五年, 自注、萬物を離合して其, 自注、和〓國の人、印度地方の諸島を併せ奪ひ, 質を第理ずることなり、, 自注、五處の地方ハ、即, バルテ」〓〓にして、〓〓して殺爭の兵亂を治平ヤり、今〓甲辰ヱ至て正に三十年なり, 亞といふ, 目注、瓜哇島の府名なり、元和五年己, 方に出して諸國を併〓せんとし、歐羅巴州大に亂る、文化十二年乙亥、諸國相謀て「ボ十, をふ, 上海と, 按にるに、或筆記, には隆厚と記す、, 、神祖ゟ和國王ヘ御復藩あり、蓋し和關歴代治平の日少をリ以て文獻〓數七〓きのるのみ、今爰に觀望し難き一大事起れり、素より, 弘化四年六月五日, 五四
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- 日に定れり、此に年を期してと云、蓋近代の事を〓ていへるなり、
- 〓て是を領す、此を和關領亞細亞諸島といふ
- 自注、兩國の書を通することしといふへ誤にり、慶長十四年己酉七月廿五日・同十七年壬子十月
- 神〓ふ和〓國王へ御復書あり、蓋し和蘭歴代治平の日少を以て、文獻ニ徴す〓きしの方によるのみ
- 廣州・福州・寧波・圓門・
- 改て技答韮
- 禾和蘭の人全島を〓ひ、闍瓦刺城〓
- 目注、寛政の頃ふ當りテ、拂明察國に「ボナバルテ」しる〓の
- 有、國の内興を拂ひ鎭て、自立して王たり、是に於て兵を四
- 自注、古は甲必丹、江府の拜禮毎年〓りしに、寛政二年実戌より五年
- 自注、萬物を離合して其
- 自注、和〓國の人、印度地方の諸島を併せ奪ひ
- 質を第理ずることなり、
- 自注、五處の地方ハ、即
- バルテ」〓〓にして、〓〓して殺爭の兵亂を治平ヤり、今〓甲辰ヱ至て正に三十年なり
- 亞といふ
- 目注、瓜哇島の府名なり、元和五年己
- 方に出して諸國を併〓せんとし、歐羅巴州大に亂る、文化十二年乙亥、諸國相謀て「ボ十
- をふ
- 上海と
- 按にるに、或筆記
- には隆厚と記す、
- 、神祖ゟ和國王ヘ御復藩あり、蓋し和關歴代治平の日少をリ以て文獻〓數七〓きのるのみ、今爰に觀望し難き一大事起れり、素より
柱
- 弘化四年六月五日
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- 五四
注記 (48)
- 379,693,52,2218正路に據らすして、速に利潤を得んと欲し、或ハ外國と爭論を起し、時勢止むへからさるを以て、本國より力を盡し、
- 664,697,54,1904を奉する帝王ハ、諸民の爲に多商買の道を開て民蕃殖せり、しかりしゟ器械を造るの術及ひ合離の術
- 284,689,50,2223其爭論を助るに至る、是等の事ニよりて、其商買支那國の官吏と廣東にて爭論の端を開き、終に兵亂を起せしなり、支
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- 1198,691,48,1476殿下に書を奉る、伏して望む、此忠告に因て、其未然の患を免れ給はんことを、
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- 1754,686,42,495殿下に〓見十るを許さる、
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- 1100,692,59,2222○近來英吉利國王ゟ、支那國帝に對し兵を出して、烈く戰爭せし本末ハ、我國の舶毎年長崎に到て呈する風説書を見
- 1016,697,55,2211られて、既に知給ふへし、威武盛なる支那國帝も久〻戰て利あらす、歐羅巴州の兵學に長するに辟易し、終に英吉利と
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- 187,691,52,2215那國にてハ戰爭利なく、國人數千戰死し、且數府を侵掠敗攘せらるゝのみならす、數百萬金を出して火攻の費を贖ふ
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- 1402,853,33,1232自注、兩國の書を通することしといふへ誤にり、慶長十四年己酉七月廿五日・同十七年壬子十月
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