『大日本維新史料 編年之部』 1編 6 弘化4年6月~同年8月10日 p.591

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徳川齊昭直書〕, 承リ申候、中山の儀、大帳にる若〻見え不申候はゝ、又外に工夫以たし可在と存候處を見, な一萬石は、威公へ返納致候樣覺申候へは、中山となも、同樣御封内中にな、知行被下候, 減候なとは不相成譯にる、右別高と唱候は、寛政し度文公御多病に〓、中山へ御政事向一, 圓御任セニ相成、取亂候比より初り候事と見え候、尾・紀迚も同樣封内にな、成瀬・安藤初, 成、又分長死たる時は、一萬五千石をは、威公へ返納致候樣覺申候、又村瀬左馬介重治、, 儀には無相違候、又御封内にな知行被下候上は、別高と唱候なし、當家の祿卅三萬石と、石, 上座と成る處、分長の祿一萬石は、御附節公邊へ御引上ニ相成、悴へ被下、大御番頭ニ相, へ被遣候なも共、此方は承知の通り、儒人多き國にな、郡官に相成候者も、夫〻儒人に候, 是も威公へ御付に相成時、威公より一萬石被下、中山の座下に列、御附の節、幕府よ, り被下候祿三千石は幕府へ上り、嫡子次男へ三千石を分な、公邊にる被召出、重治死, 候な可申聞候、水野分長, 令披見候、先便に大帳見候樣申聞候處、此度は間に合兼候故、追る見出候る可申聞由、何も, ○七月九日郡官へ, 御付の節、威公より一萬五千石被下、家老に相成、中山の, ニ妨阻ニ努メタリ。次ニ之ニ關スル史料ヲ收ム。, 烈公親書類纂所載, ○公爵徳川圀順所藏本, 初備後守後, 彈正少弼, 藩主, 前水戸, 弘化四年七月是月, 五九一

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  • 烈公親書類纂所載
  • ○公爵徳川圀順所藏本
  • 初備後守後
  • 彈正少弼
  • 藩主
  • 前水戸

  • 弘化四年七月是月

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  • 五九一

注記 (24)

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