『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.636

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こて、佐和山井伊掃部頭直孝領分、石ケ崎の地に居たり、, いゝ送れり、大御所、相模守か心を、幼少ゟ能々御存知ゆへに、折々台徳公の, と成、此耻を雪く〓きを思へ、供養も善根も、是に増したる供養なしと、懇に, 氣も無之、此兩人共ニ、大坂の役に出し、三男右京亮教隆、四男主膳正幸信計, 男石川内記成堯き石川の家を繼たる故、何の御構なく、主殿頭には、其儘濃, か共、慥成事なきゆへ、相模守妻へ、貳百人扶持被下、嫡孫仙丸、, 恐敷儀也とて、何方へ成共、御預ニ成被下候へかしと申上學れは、さらは近, 御預と成て、南部と津輕とへ配謫せられしか、是も後には召出さる、扨相模, 〓大垣城を被下、内記をは、石川日向守家成隱居料五千石を被下、何の御勘, 所成間、佐和山へ行、心安居候へ、江〓の知行五千石をは、其儘被下との上意, 守は、御奉公も勢すして、過分の知行を拜領し、自分領地に樂々と罷在事、天, 御前を御繕ひ被下たるとの沙汰也、相模守罪の事、御内意ニて御吟味有し, は、其儘武〓騎西の知行貳万石を賜てく、蟄居被仰付、次男石川主殿頭忠總、五, 仰付候テ、御改易ナリ、本多上野介ヲ、最上城請取ニツカハサレテ御改易也, 大久保相州ヲ、上方ヘ、吉利支丹穿鑿ニノホリ候樣ニト被, に, 加賀守忠職, 後名新十郎, ○下, 略, ノ扶持, 忠隣妻ヘ, 慶長十九年正月十九日, 六三六

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  • 加賀守忠職
  • 後名新十郎
  • ○下

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  • ノ扶持
  • 忠隣妻ヘ

  • 慶長十九年正月十九日

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  • 六三六

注記 (24)

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