『大日本史料』 12編 13 慶長十八年九月~同十九年四月 p.919

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ろたなく候と申す、事終りて、鹿毛ぶちの馬を大隅に賜ひたるに、士の二毛, の鎗を提げ先かけ候、陣つひに崩るゝ事はなく候、石は無心ものにてせん, て引申候、此時右之小車は、細々行通に仕に付、太夫殿大石之しやまに成氣, ひろけ置候へ、其上を引通り可申間、其時手挺しゆら木にて打ちらし候へ, 〳〵打ちらし申候、本多佐渡守殿屋敷へ追込、大けんくわに罷成候、太夫殿, と申付置候所へ、はやから車を引かけ申、右のことくてこしゆらにてさん, 郎右衞門腹立にて、石引共に申付候は、から車を又引可參候儘、何もつなを, のとく故、太夫殿より之奉行には、眞鍋五郎右衞門、鎌田主殿兩人居合候、五, 能御笑、普請小屋へ御入被成候, 覽じて、何とて崩れしやと仰有しに、龜田謹で、其事に候、大隅軍の時、〓の〓, 丁に石をつみ、人數四五百して引申候、太夫殿衆は、大角石を千五百人計に, 何とて大石はおそく候とて、使を立被申、右之段々申上候へは、太夫殿機嫌, 隅高綱を奉行とす、石壁成て後、崩るゝ事三度に及べり、台徳院殿打廻り御, 同年に、江戸御普請之刻、紅葉山の下百間藏の前にて、藤堂和泉殿小車四五, 江戸の石壁をきづかるゝ時、淺野長晟仰を奉りて、龜田大, 常山記談〕〓江戸の石壁をきづかるゝ時、淺野長晟仰を奉りそ、龜田大, 常山記談, 九, 田高綱, 淺野長晟, ノ家臣龜, 慶長十九年四月八日, 九一九

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  • 田高綱
  • 淺野長晟
  • ノ家臣龜

  • 慶長十九年四月八日

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  • 九一九

注記 (23)

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