『大日本維新史料 編年之部』 2編 2 安政1年1月21日~同年1月晦日 p.638

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きものおや、, 尊兄なる事と聞る甚殘れり、依る亦々先日出府さし故直こ尋し趣なり、, へ着こも候半との趣ニ候故、誰ならんと被案候處、今日ニ相分候、然ニ鮫島正助被申こは、, 役之計いろこも論なし、治世久敷とは云ものゝ沙汰之限りなる〓し、實こ氣〓之人〓む〓, 肥後之藩なるよしこる御門ゟ取次を以面會之事承り、直と出掛候得し津田山三郎とて、國, えも參りなとして騷敷事とや聞候得共、左迄ともおもりさとれは、浦賀の左右も聞度ニ、幕, 我自分製し候甲冑態々取寄、若衆なとへ着さて振舞、らま〳〵の事ともこ候、, 裏之御門之樣被參候樣返答いたし待居候る、始て面會致候る、旁之譯承候、先比藤田彪と, 元之鮫島某と同伴こる片町え待居參呉との事故、御門之都合致候得共、外出六ケ敷候る形, 行返答申候る被歸候、又跡ゟ肥藩轟武兵衞被參、面會被歸候、翌日鮫島より一封被遣候間、, 先度藤田所こるおのも名前承り參度と存候得共、竊ニ出府之事故憚り歸り候る承候得し、, 一二月朔日、海岸屋敷有之面々、人數差出可申、尤不事立樣、穩便ニ取計候樣、同夜九ツ時, の咄こ、此内同藩鮫島某尋有之、奔走之段も被申候間、尚又承候ニ此地出立之由、最早御國, 安田義宜日史〕, 分被仰渡、高輪御屋敷え島津右門殿、田町御屋敷え島津隼人、夫々一手之人數被召附、, 〕, ○公爵島津, 鹿兒島, 忠重所藏本, 藩士, セ聞ニ忍ビ, 幕吏異人ガ, 肥後ノ津田, 云フニマカ, 轟等ニ會ス, ズ, 安政元年正月二十八日, 六三八

割注

  • ○公爵島津
  • 鹿兒島
  • 忠重所藏本
  • 藩士

頭注

  • セ聞ニ忍ビ
  • 幕吏異人ガ
  • 肥後ノ津田
  • 云フニマカ
  • 轟等ニ會ス

  • 安政元年正月二十八日

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  • 六三八

注記 (28)

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