『大日本維新史料 編年之部』 2編 4 安政1年2月11日~同年2月23日 p.606

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ふに。去ル三日は。大師河原沖迄。異船乘込たる〓く聞ゆ。, よりて。昨夜少も不眠。, 遣候。聖徳太子え祈候由。或は神功皇后之陵え。屡いのりたるよしなと。いつれも深切こ, も正八時之出立なれは。旅宿之混雜大かたならす候。喜三郎へ横麻上下兵右衞門え羽織, 申す。僞もあるまし。ならより二十里も。我に逢度計ニ。入用をかけて。去ル七日已來逗, 郎町人小嶋や平右衞門來りそ。なら縮并御札等差出候。大坂よりも林才二郎來る。明朝, え落。大やけといたしたる故。金二分遣したるよしは。其頃の日記に記したり。昨日尚又, 留して。當テもなきに待居たる之。○去年姫路に止宿の時。わか荷を持たる人足。湯釜, らふは三石を曉六時に出立しそ。片嶋にいたり晝休。七ツ時よほと過。姫路え着。支配向, 十一日晴曉八ツ時早メ出立いたし候な。五十町道うち交候な。十六里のみちを經そ。, 立に申付候。これ)より。足乃つゝくたけち歩行しそ。江戸へ一時も早く着之積之。, 一同評議之上。此節は可致身の時之。せめそは。旅行にても早くすへしとそ。曉八ツ時之, 寺地中普門院來りて。惡魔降伏之御札。并よみうた等差出。なら奉行所出入之百姓喜三, 兵庫へ止宿。○一の谷まて參りたるに。ならの長吏出迎として來る。兵庫乃旅宿へ法隆, て金三百疋遣し候。ひめ路之代官。禮として來り候。道中師の話に。右之人足は。よから, 糺したるに。三日メ目に。右之やけとニる死したるよし之。親も子も有よし故。香典とし, 安政元年二月二十二日, 三艘以, 上之。, 行程ヲ早ム, 兵庫ニ宿ス, 姫路ニ著ス, 異船ノ風聞, 安政元年二月二十二日, 六〇六

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  • 三艘以
  • 上之。

頭注

  • 行程ヲ早ム
  • 兵庫ニ宿ス
  • 姫路ニ著ス
  • 異船ノ風聞

  • 安政元年二月二十二日

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  • 六〇六

注記 (25)

  • 1838,685,62,1409ふに。去ル三日は。大師河原沖迄。異船乘込たる〓く聞ゆ。
  • 1839,2279,61,557よりて。昨夜少も不眠。
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