『大日本維新史料 編年之部』 2編 4 安政1年2月11日~同年2月23日 p.621

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門より入り、, りぬ、彌利堅船は、本と九艘なりしか、二艘は下田港へ赴をしよし、これは此港を開かれん, とての見聞に赴けるなりと申す、生麥より輸に上り、輿を飛して品川に抵は、新臺場の前, らしめ、四手駕籠雇ひ、大急きにて小石川市兵衞河岸なる川路司農の邸に到り、只今歸着, 澤美作守・井戸對馬守・林大學頭なんとの旅館あり、これらは此度の對話の役なるよし承, 隱し、彼を覗ひ打たんとする設なるへけれと、若し砲に中らは、皆飛散して用に立さるへ, し、策略の拙笑布に堪たり、品川は越前侯の固のよし、某店にて興齋と共に酒飯し、又輸に, したり、鈴ケ森の邊は松平隱岐守固のよしにて、土俵を三角形に所々に列す、これに身を, ひ、一トまづ東都にかへるよし申して、相携て旅亭を立出て、歩行して街上を過くるに、伊, 帆檣林立、これ異船の備なるへし、神奈川は赤石侯の固なるよしにて、所々に陣幕引わた, せしよし富塚順作もて申しぬ、直に又〓に上り、本邸に歸れは、夜七時にも及ひぬへし、北, 上れは、日已に五時にも及へると覺南、高繩は我藩の固とて、泉岳寺を本陣となせるよし, なれと、公事いまた了らされは、立寄らんも心ならす、行過き、札の辻より本〓に興齋を乘, りぬ、鰻店に至り、大槻に逢〓、小澤左吉・鍬形赤子も居れり、一二酌の後、宇田川は余に伴, れまか、このせつは和解役所急反譯の事あて、彼役所へ日勤せれは、來り居らさるよし語, 模樣, 海岸警備ノ, 著府, 拙策笑フベ, 安政元年二月二十二日, 六二一

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  • 模樣
  • 海岸警備ノ
  • 著府
  • 拙策笑フベ

  • 安政元年二月二十二日

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  • 六二一

注記 (21)

  • 223,619,56,301門より入り、
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