『大日本維新史料 編年之部』 3編 1 安政5年1月 p.571

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仰せ立らるへきに定りぬ、, ヲ伴ハシム。尋デ, 事口さゝれぬ程に、親藩にて事遂くへきの思召なりしか、昨今事急こなりけるに、幸此日、, 正月九日、, 慕はせ給ひ、御心易被成度との御事なれは、去年秋比より松平相模守殿・立花飛騨守殿・, 年は土佐殿御滯府あり、御合詰になりけるに、此侯學問を好ませらる故、公の御徳誼を, 松平土佐守殿・松平大和守殿抔被仰合、大學の御會讀ありしに、此侯學才の勝れ給ふ而, 因云、土佐守殿は是迄、御詰違ひに被爲成候故、御親しくもあらセられさりしかと、此, 〔昨夢紀事〕, 土佐守殿御出ありしかは、猶深く御論議の上、土佐守殿には、明朝、備中殿へ御出ありて、, 左内、鹿兒島藩士西郷吉之助, 佐守殿・立花飛騨守殿抔とは、密々被仰合たる事も坐セしかと、事なくは外藩よりかゝる, ルヲ告ゲ、幕府大奧ニ對スル斡旋ヲ謝シ、不在中ハ同藩士中根靱負, も申出されたらんには、閣老衆のおもはくも改りて善き事もあらんかとおほセは、松平土, ト協力センコトヲ依頼ス。, 一、公、斯く迄は手配りあられしかと、猶いろ〳〵と思召運らし給ふ内、兼る外藩の御方ゟ, 二上京ス, 安政五年正月二十四日, 隆永○後隆盛, 前名吉兵衞○, 二十七日、左, 内、發程ス。, ○中, 六日, 二十, 略, 質, 師, 山内豐信慶, 永ヲ訪フ, 豐信ノ人物, 安政五年正月二十四日, 五七一

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  • 隆永○後隆盛
  • 前名吉兵衞○
  • 二十七日、左
  • 内、發程ス。
  • ○中
  • 六日
  • 二十

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  • 山内豐信慶
  • 永ヲ訪フ
  • 豐信ノ人物

  • 安政五年正月二十四日

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  • 五七一

注記 (33)

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