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をしかは、侍醫望月三英をして診せしめらる、乃ち病愈おにより、拜〓せむ事をこふのと, この日入輿あ〓しことを謝して、盛光乃太刀、黄金十枚、縮緬二十卷、綿五十把を献す、こ乃, 惇信院殿に清綱の太刀、黄金五枚、縮緬三十卷、綿三十把を献す、寛保元年四月八日、天英, 〓、吉村は老年たれは、專其身の保養をこ〓りなからむ事をお不せ下さお、二十日逝去に, をして綿五十把を拜賜し、天英院殿よりも御使をもつて縮緬十卷、二種一荷を壹まふ, 傳へあ、これにならぬへきむ手、父子れらひに松平兵部大輔宗矩松平相模守宗泰等にお, しとお〓せ出さお、延享元年正月七日歳首を賀せむとて登營するのところ、俄〻病を發, の日卒す、年七十二、獅山元活續燈院と號す、二十七日奏者番阿部飛騨守正允をして賻銀, 〓せ下さお、閏四月朔日、老年のうへ病痾によ〓て致仕せむ事なこふとい〓とも、恩命あ, よりて、三御所より老中本多中務大輔忠良をしず〓つ〓させたまひ、二十一日また若, 年寄本多伊豫守忠統を下され、姫君違例中父子深切に辛勞せしよしぎこしめさる、吉村, 院殿の御遺物冷泉爲秀筆の古今集を〓まふ、三年四月十三日參府乃事を謝すれのとき, やかに快復し、御喜悦におほしめさる、な離心にまかせて老を養ふへきむ〓、恩命をかう, はせられ、二十年四月二十七日利根姫君を嫡子宗村に嫁せらるへきむ手仰をかう學, とき御盃を賜ひ、粟田口則國の御脇指を拜賜し、また久國乃刀、光包の脇指をたてまつ, 手仰下さ御、吉村恩命の忝を謝し、宗村もとより〓の所存なきよしをこ〓へた〓まつ, 台命にこ〓へたそまつる不と、吉村その宜を得たりとおほしめさお、同班乃人々にも申, 第仰下さは、二年七月二十一日、兩御所より上使もて室の喪をとぬらはせ〓匁ふ、閏十, 二月九日利根姫君病にかゝらせたまふ乃とき、有徳院殿よりしは〳〵御使をとまは, 事〓老年といひ多病〓れは、宗村殊にこゝろを添て加養すへきのむ年仰をかう多れ、三, 第刺、また老中松平左近將監乘邑をもて、病後たるにより、西城に乃不るにをよはさるむ, こあ、五月十八日、明日は惇信院殿にシ本城にいらせ〓まへは登營すへき乃む第、にる, 年四月二日また忠統戍もつて、宗村再婚の事はゝかかところなくこれをはつ御へきむ, らたむ、八月十五日營に乃不りてこれを謝するのとき、宗村いまた年若けれは心を添へ, りてゆるされす、七月二十五日ぬたゝひこふむ手ありて致仕し、二十六日左兵衞督にあ, せ下さおるにより、十九日出仕す、ときに御座乃間にめされ、きこしめされしよりはす, 寶暦元年十二月二十四日、病おもきにより、奏者番本多長門守忠央をもて問せたまふ、こ, 松平右京大夫輝貞をもつて白銀三十枚、綿五十把、惇信院殿より老中松平能登守乘賢, 六月十九日これを謝するの時、御盃を下され、左國弘の御脇指をたまふ、十二月朔日、老中, 附録, 六〇五
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- 附録
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- 六〇五
注記 (31)
- 1096,726,56,2121をしかは、侍醫望月三英をして診せしめらる、乃ち病愈おにより、拜〓せむ事をこふのと
- 1694,731,52,2116この日入輿あ〓しことを謝して、盛光乃太刀、黄金十枚、縮緬二十卷、綿五十把を献す、こ乃
- 1575,721,55,2123惇信院殿に清綱の太刀、黄金五枚、縮緬三十卷、綿三十把を献す、寛保元年四月八日、天英
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