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せ給へり、蘆浦の觀音寺を頼みて御門主の御方に實否をうかゝひ申せしに、まことなりき, へるを、おほつかなき儀なから聞にまかせて注すなと記せる、おほつかなきの一句、事實, 根源の説を引き、此神垂跡の始は元明天皇の和銅年中なる事明なれは、稻荷の御名も弘法, 季吟、貞徳と師弟のむすひ有しゆゑにかくはあらはし出せるなり、同卷稻荷社の下、公事, の末、洛陽年中民間風俗正月より十二月まての有さま、讀に興あり、ことに典故をのせ考, 大師より以前なるへし、されは稻をおひたる翁よりいなりの名はしまれりとはいひかた, 證の一助にもなりぬへし、第四上卷吟花廊の下、逍遙軒松永貞徳の事を委く載す、是は, ならしめんとちかへり、そのゆゑにそのあやふみあるものこの社にまうてゝいのるとい, の下には和泉式部、東寺の下には空海のことき、因によりて著せり、第二卷官者殿社或, かるへしといふ、是又俗説を辨するにたれり、同下卷毘沙門堂の下に、前僧正公海はも, 説に土左坊正俊を祭れり、そのうきに身をつみて、人のそら誓文のとかをも身におひ消滅, 用書のうち宇治拾遺・古今著聞・東齋隨筆ことに多く見ゆ、古人の略傳たとへは誓願寺, をも有のまゝに傳へ、又俗説にまとはさる、脩辭の道をも心得たる書法といふへし、同卷, 嚴有院様に此御門主より奉り給ふよしとて、松平大和守より松本道繼をして吾に告知ら, と曰光山の座主におはしましき毘沙門堂御門主と申、予源氏湖月抄を述作せしに、先年, (徳川家綱), 松永貞徳ノ事, 洛陽年中民間, 稻荷社ノ事, 古人ノ略傳ハ, 風俗, 俗説, 因ニヨリテ著, 毘沙門堂ノ事, 引書, ス, 別紀第一(山城), 五一
割注
- (徳川家綱)
頭注
- 松永貞徳ノ事
- 洛陽年中民間
- 稻荷社ノ事
- 古人ノ略傳ハ
- 風俗
- 俗説
- 因ニヨリテ著
- 毘沙門堂ノ事
- 引書
- ス
柱
- 別紀第一(山城)
ノンブル
- 五一
注記 (28)
- 304,716,64,2243せ給へり、蘆浦の觀音寺を頼みて御門主の御方に實否をうかゝひ申せしに、まことなりき
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