Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
夫より豐前國小倉にわたり、廿三日同國下毛郡羅漢寺に至る、それより彦山へいたるに, 遺する所か、いかにも廣く和漢の書籍を引用して取へきもの多し、, にゆつり、退老安逸の身となり、遠遊に因て井蛙の見聞を廣めて、なほ老後の一得あら, ん事をねかひて、頓て西方中國・九州に遊歴し、長崎に至て歸る、即この記はその道々, たり、又往々朱をもつて標題するものあり、是は後人の書加所か、また魚介か自から補, は、つきぬき道、山國道の二條あり、山國道を通りて、廿五日同國英彦山に詣て、五月, 見より舟行して大坂に到り、廿六曰道頓堀より又舟にのり、舟中國々の最繁華なる所は, 吉田重房撰、重房俗稱を平七といふ、尾州名古屋の商人なり、四十歳のとき家業を息男, 發足して、十九日京に到り、廿三日迄此地逗留して諸勝を遊覽し、廿四日京を立出、伏, 名勝・古跡・神社・佛宇、凡足跡の至る處、耳目のふるゝ所、巨細となく書のせたる書, 上陸して諸勝を遊覽し、四月十三日防州上の關にて上陸し、廿曰長門國赤間關にいたり、, にして、往々畫圖及ひ和歌をのせたり、一書の大略、享和辛酉三月十六日尾州名古屋を, 一日長崎に著す、是より同月十八曰まて、その地に逗留して諸勝を遊覽して、十九日長, 筑紫紀行十卷, 刻本, 十册, 々ノ名勝古跡, 享和元年中國, 九州遊歴ノ道, 吉田重房撰, 神社佛宇ヲ記, 英彦山, 編脩地誌備用典籍解題卷之二十五, 三二二
割注
- 刻本
- 十册
頭注
- 々ノ名勝古跡
- 享和元年中國
- 九州遊歴ノ道
- 吉田重房撰
- 神社佛宇ヲ記
- 英彦山
柱
- 編脩地誌備用典籍解題卷之二十五
ノンブル
- 三二二
注記 (24)
- 399,713,65,2243夫より豐前國小倉にわたり、廿三日同國下毛郡羅漢寺に至る、それより彦山へいたるに
- 1678,723,61,1694遺する所か、いかにも廣く和漢の書籍を引用して取へきもの多し、
- 1202,728,69,2238にゆつり、退老安逸の身となり、遠遊に因て井蛙の見聞を廣めて、なほ老後の一得あら
- 1090,724,68,2231ん事をねかひて、頓て西方中國・九州に遊歴し、長崎に至て歸る、即この記はその道々
- 1786,727,67,2245たり、又往々朱をもつて標題するものあり、是は後人の書加所か、また魚介か自から補
- 284,722,65,2237は、つきぬき道、山國道の二條あり、山國道を通りて、廿五日同國英彦山に詣て、五月
- 626,716,70,2250見より舟行して大坂に到り、廿六曰道頓堀より又舟にのり、舟中國々の最繁華なる所は
- 1318,722,69,2246吉田重房撰、重房俗稱を平七といふ、尾州名古屋の商人なり、四十歳のとき家業を息男
- 742,720,70,2248發足して、十九日京に到り、廿三日迄此地逗留して諸勝を遊覽し、廿四日京を立出、伏
- 974,719,71,2246名勝・古跡・神社・佛宇、凡足跡の至る處、耳目のふるゝ所、巨細となく書のせたる書
- 515,721,66,2261上陸して諸勝を遊覽し、四月十三日防州上の關にて上陸し、廿曰長門國赤間關にいたり、
- 857,728,68,2235にして、往々畫圖及ひ和歌をのせたり、一書の大略、享和辛酉三月十六日尾州名古屋を
- 169,729,67,2225一日長崎に著す、是より同月十八曰まて、その地に逗留して諸勝を遊覽して、十九日長
- 1495,663,73,475筑紫紀行十卷
- 1485,1182,43,85刻本
- 1533,1184,40,83十册
- 820,339,40,253々ノ名勝古跡
- 910,334,40,258享和元年中國
- 868,337,37,255九州遊歴ノ道
- 1340,337,39,212吉田重房撰
- 776,334,40,259神社佛宇ヲ記
- 302,330,36,124英彦山
- 1932,842,45,695編脩地誌備用典籍解題卷之二十五
- 1927,2445,43,118三二二







