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餘年の歳月と精力を費し、漸く文政九年四十七歳の時に至つて完成した。斯く, たるを傳聞し、辭を厚うして之を見んことを求めたので、山陽は翌十年五月二十, で全く完成したのである。, しようとしたが、會〻「大日本史」を見るに及び、武家世家の傳が各處に散見して通, 執筆することに改めた。而して叔父春風の意見に基づき、題名を「日本外史」に變, 當時既に松平定信は老中の職を退いて、樂翁と號してゐたが、外史が苦心の作, へ、豐臣氏迄を敍する豫定であつたが、徳川氏三代の將軍をも加へることとした, 讀に不便なのを感じ、茲に先づ十三世家のみを「日本世史」、或は「本朝覇史」と題して, て其の生涯は、殆んど修史を以て終始したといつてもよかつた。今其の功程を, のであつた。文化五年に至つて初稿を〓したが、猶人に示さず、同九年改刪に著, 手すると共に、一武將毎に論贊を付して畫龍點睛を期し、遂に文政九年末に及ん, 味を感じ、三紀・五書・九議・十三世家・二十三策の五者を包合した尨大な私史を編纂, 瞥見するに、弱冠「保元物語「平治物語」以下の史乘と「通鑑綱目」とを讀んで、歴史に興, 山陽が「日本外史」の著述に著手したのは、享和二年二十三歳の時で、爾來二十有, 松平定信, と日本外, 史, 日本外史, 第二章尊王思想の發達第五節各地の尊王思想, 一八七
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- 松平定信
- と日本外
- 史
- 日本外史
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- 第二章尊王思想の發達第五節各地の尊王思想
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- 一八七
注記 (20)
- 1751,556,61,2267餘年の歳月と精力を費し、漸く文政九年四十七歳の時に至つて完成した。斯く
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- 621,556,54,728で全く完成したのである。
- 1310,560,59,2263しようとしたが、會〻「大日本史」を見るに及び、武家世家の傳が各處に散見して通
- 1086,555,60,2264執筆することに改めた。而して叔父春風の意見に基づき、題名を「日本外史」に變
- 496,613,63,2200當時既に松平定信は老中の職を退いて、樂翁と號してゐたが、外史が苦心の作
- 970,567,59,2252へ、豐臣氏迄を敍する豫定であつたが、徳川氏三代の將軍をも加へることとした
- 1197,553,59,2264讀に不便なのを感じ、茲に先づ十三世家のみを「日本世史」、或は「本朝覇史」と題して
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- 850,560,62,2259のであつた。文化五年に至つて初稿を〓したが、猶人に示さず、同九年改刪に著
- 731,552,63,2266手すると共に、一武將毎に論贊を付して畫龍點睛を期し、遂に文政九年末に及ん
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