『維新史』 維新史 2 p.130

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造被仰付候云々」と云つてゐる。, せしめると共に、これが備砲の鑄造を佐賀藩に命じてゐる。安政二年十二月老, 川太郎左衞門の兩洋兵家及び幕臣としては西丸留守居下曾根信敦等である。, 至つた。最も破壞力に富む火兵の完備如何は、攻守共に其の大勢を決するもの, と言つてよい。故に早く水戸・薩州・佐賀・長州等の諸藩は火兵に意を用ゐ、幕府も, 中阿部正弘が佐賀藩留守居に與へた達に、「松平薩摩守國許におゐて製造致し候, 佐賀藩に大砲五十門の鑄造を依頼したが、次いで又薩州藩に命じて軍艦を獻上, 太郎左衞門は天保十三年伊豆韮山に反射爐を築いて鎔鐵の研究を開始したが, に、當時にあつては諸藩中最も進歩してゐたのであつた。幕府は嘉永六年八月, 確かに立ち後れの感が深い。就中佐賀藩の銃砲製造は薩州藩の造船事業と共, 軍艦二艘御用に付差出候筈に付、右御船え据付候鐵製大砲肥前守方にて引受鑄, に大砲・小銃の製造に著手したのであるが、幕府は佐賀・薩州・水戸の諸藩に比して、, 幕府の銃砲製造に當つて、最も力を盡したのは、云ふ迄もなく、高島四郎太夫・江, 亦此の點に留意し、全國に西洋流砲術の修業奬勵を達した。, それと同時, 嘉永六年, 九月廿五日, 銃砲鑄造, 第四編開港對策, 一三〇

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  • 嘉永六年
  • 九月廿五日

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  • 銃砲鑄造

  • 第四編開港對策

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  • 一三〇

注記 (20)

  • 558,582,54,873造被仰付候云々」と云つてゐる。
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