『維新史』 維新史 2 p.157

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述べた如くである。, することに決した。而して御用船大元丸, 見したのであつた。仙臺藩の儒者大槻清崇は、一詩を賦して、「四海三檣我一檣、驚, 即ち三檣の大船起工に著手し、外裝は幕府の嫌疑を恐れて日本式であつたけれ, は幕府に引渡され、やがて海軍傳習生の一行を乘せて長崎に赴いたことは既に, 海防掛等が之を見學し、次いで徳川齊昭も亦、慶篤及び藤田東湖を伴つて乘船し、, 御手船承天丸, 將軍家定も六月九日濱御殿に於いて、三田の薩州藩邸前に繋留せる昇平丸を望, 船して大砲の試射を行ひ、五月十四日には老中阿部正弘・同牧野忠雅以下若年寄・, 看新造擬西洋、只應直筆傳千載、日本軍艦是濫觴。」と。九月二日に至つて昇平丸, ど、内部の構造は、純然たる洋式に依り、安政元年三月竣工した。之を以呂波丸と, 稱した。又嘉永六年十二月造船の計畫を立てて、大船十二艘・蒸氣船三艘を建造, の四艘が竣成した。御用船とは幕府から註文を受けて建造したもの, 是より先、嘉永四年十月、齊彬は磯の龍洞院前の海濱に於いて、別に西洋型帆船, 年丸, 日鹿兒島を發して三月十八日品川に著いた。四月二十八日には齊彬が自ら乘, 鳳瑞丸, 萬, 四間, 二十, 四間, 二十, 二十, 二十, 間, 間, 以呂波丸, 大元丸, 第三章幕府の庶政改革第三節諸藩の武備, 一五七

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  • 四間
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  • 以呂波丸
  • 大元丸

  • 第三章幕府の庶政改革第三節諸藩の武備

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  • 一五七

注記 (30)

  • 1061,574,53,537述べた如くである。
  • 486,574,58,1197することに決した。而して御用船大元丸
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