『維新史』 維新史 2 p.912

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たが、航海・測量等は凡て邦人の手によつて行はれたのであつた。, 奈川を經て、十九日浦賀を發し、愈〻太平洋横斷の壯途に就いたのであつた。船の, 長さ僅かに二十七間半、幅四間、約三百噸の小艦が日章旗を檣頭に掲げて、怒濤逆, 卷く太平洋を航行する状は、誠に壯觀であつた。艦長勝麟太郎は「此行時猶初春, 四日、幕府は軍艦奉行並木村喜毅, 艦觀光丸を派遣する事に定め、略〻其の準備を完了したが、會入港した米國軍艦ポ, ーハタン號の士官の注意に依つて、俄に咸臨丸を以て之に代へる事となつた。, 總勢九十餘名、當時二十七歳の福澤諭吉も醫師の門生となつて一行に加はつて, 萬延元年正月十三日、咸臨丸は遣米使節の發途に先立つ數日、品川を解續し、神, ゐる。此の外米國士官ブルーク等水兵を合せて十一名が輔佐役として乘艦し, 手傳赤松大三郎、通辯主任中濱萬次郎を始めとし、水夫・火焚等, 同艦乘組員の顏觸れを見るに、提督は木村喜毅、艦長は軍艦操練所教授方頭取勝, に試みんが爲、別に軍艦一隻を派遣することとした。即ち安政六年十一月二十, を合して, 麟太郎, で、其の他同教授方佐々倉桐太郎・小野友五郎, に諸般の準備を命じた。初め軍, 肥田濱五郎、教授方, 二十八日軍艦奉行と, 成る、圖書、攝津守, 多く長崎・讚, 海舟, 岐鹽飽島水主, 義邦, 主膳正, 廣胖, 咸臨丸の, 太平洋横, 斷, 第二章幕府の對外工作第一節遣米使節と小笠原島の再開拓九, 九一三

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  • 二十八日軍艦奉行と
  • 成る、圖書、攝津守
  • 多く長崎・讚
  • 海舟
  • 岐鹽飽島水主
  • 義邦
  • 主膳正
  • 廣胖

頭注

  • 咸臨丸の
  • 太平洋横

  • 第二章幕府の對外工作第一節遣米使節と小笠原島の再開拓九

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  • 九一三

注記 (31)

  • 840,577,61,1814たが、航海・測量等は凡て邦人の手によつて行はれたのであつた。
  • 608,576,64,2273奈川を經て、十九日浦賀を發し、愈〻太平洋横斷の壯途に就いたのであつた。船の
  • 495,578,63,2276長さ僅かに二十七間半、幅四間、約三百噸の小艦が日章旗を檣頭に掲げて、怒濤逆
  • 380,576,63,2279卷く太平洋を航行する状は、誠に壯觀であつた。艦長勝麟太郎は「此行時猶初春
  • 1758,571,58,928四日、幕府は軍艦奉行並木村喜毅
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