『維新史』 維新史 3 p.37

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嘉永癸丑以來攘夷の叡慮は確乎として動かせられざる以上、我が藩は即刻前論, を放棄して、一意聖旨に遵ひ攘夷に盡瘁すべしと主張し、之に對し山田等の漸進, 若し躊躇浚巡して徒らに日を空しうせんか、必ずや薩藩を始め、諸藩の嗤笑を招, 事に屬し、若し強ひて之を斷行せんか、亂竇を開き、蒼生を塗炭の苦に陷れること, た。會今や藩公は輦轂の下に在つて、奉勅の事は一日も緩うすべきの時に非ず。, くことは必然である。吾等は京攝の間に滯留せる有志數百人と一團となつて、, 派は、叡慮を遵奉するは固より言を俟たざるも、破約攘夷を實行するは極めて難, に從ふを至當とすと論じた。兩派は交應酬し、議は沸騰して容易に決しなかつ, 路を集めて、藩是確立に關する大會議を開いた。席上中村・六戸・桂等の急進派は、, 引籠り、專ら窮通打開の途に焦慮してゐた。斯くて七月六日世子定廣を始め支, は明白である。故に重ねて叡慮の存し給へる所を伺ひ奉り、審議熟考して後、事, 藩たる徳山藩主毛利元蕃・家老毛利筑前以下、毛利伊勢・盆田彈正・浦靱負・井上小豐, 後・周布政之助・兼重讓藏・山田宇右衞門・中村九郎・六戸左馬介・桂小五郎等の在京要, 藩公を輔け、勤王の大義に邁進すべく、宜しく君臣共に楠公湊川の擧に傚ひ、利害, 第一章長州藩の公武周旋第二節周旋の蹉跌と藩論の一變, 第二節周旋の蹉跌と藩論の一, 第一章長州藩の公武周旋第二, 論の, 三七

  • 第一章長州藩の公武周旋第二節周旋の蹉跌と藩論の一變
  • 第二節周旋の蹉跌と藩論の一
  • 第一章長州藩の公武周旋第二
  • 論の

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  • 三七

注記 (19)

  • 1400,547,59,2311嘉永癸丑以來攘夷の叡慮は確乎として動かせられざる以上、我が藩は即刻前論
  • 1284,550,59,2307を放棄して、一意聖旨に遵ひ攘夷に盡瘁すべしと主張し、之に對し山田等の漸進
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  • 1052,545,58,2310事に屬し、若し強ひて之を斷行せんか、亂竇を開き、蒼生を塗炭の苦に陷れること
  • 698,554,59,2315た。會今や藩公は輦轂の下に在つて、奉勅の事は一日も緩うすべきの時に非ず。
  • 462,546,59,2320くことは必然である。吾等は京攝の間に滯留せる有志數百人と一團となつて、
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