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路兩勅使著府の前日の事であつた。, を熟知しつつも、猶攘夷勅旨を遵奉せざるを得なかつた所に、非常な苦境が存し, 幕閣の何人にも確信はなかつた。慶永の所謂「公共之理」に基く諸侯會同説は、立, る者あり、後年慶喜は此の事を囘顧して「當時は事聊面倒となれば、毎々此の如き, も、必ずしも理由なしとせぬのである。此の頃幕閣内部に間、大政返上論を唱ふ, 以であつた。併し乍ら如何にして攘夷を實行するかの具體的方策に至つては、, 憲思想の萌芽とも見らるべき卓見であるとしても、幾許の實現性を有し得たか, 飜つて月餘に亙る幕議紛糾の跡を顧みるに、幕府が開國の已む能はざる大勢, して「攘將軍」即ち倒幕に轉ずべき性質のものであつた。これ幕閣首腦部が甚し, たので、さすがの慶喜も始めて登城を承諾した。やがて慶永・慶喜は相尋いで登, 城して、勅使待遇改善の議を決し、幕府は漸く愁眉を開くを得た。是は三條・姉小, は疑なきを得ない。されば一橋慶喜が滿腔の不滿を懷いて辭職を決意したの, たのである。當時の攘夷は單純なる攘夷に非ず、山内豐信の道破せる如く、一轉, く疫巡苦慮を重ね、開國論者たる松平慶永が再變三變して破約攘夷を説いた所, の登營, 慶喜慶永, 幕府國政, 調理の自, 信を缺く, 第四章勅使三條實美・姉小路公知の東下第三節幕閣の動搖, 二九七
頭注
- の登營
- 慶喜慶永
- 幕府國政
- 調理の自
- 信を缺く
柱
- 第四章勅使三條實美・姉小路公知の東下第三節幕閣の動搖
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- 二九七
注記 (21)
- 1642,574,58,1023路兩勅使著府の前日の事であつた。
- 1401,575,62,2307を熟知しつつも、猶攘夷勅旨を遵奉せざるを得なかつた所に、非常な苦境が存し
- 795,569,65,2313幕閣の何人にも確信はなかつた。慶永の所謂「公共之理」に基く諸侯會同説は、立
- 320,576,64,2302る者あり、後年慶喜は此の事を囘顧して「當時は事聊面倒となれば、毎々此の如き
- 438,576,61,2307も、必ずしも理由なしとせぬのである。此の頃幕閣内部に間、大政返上論を唱ふ
- 913,571,64,2325以であつた。併し乍ら如何にして攘夷を實行するかの具體的方策に至つては、
- 682,572,62,2310憲思想の萌芽とも見らるべき卓見であるとしても、幾許の實現性を有し得たか
- 1518,641,61,2240飜つて月餘に亙る幕議紛糾の跡を顧みるに、幕府が開國の已む能はざる大勢
- 1155,576,64,2303して「攘將軍」即ち倒幕に轉ずべき性質のものであつた。これ幕閣首腦部が甚し
- 1880,579,61,2299たので、さすがの慶喜も始めて登城を承諾した。やがて慶永・慶喜は相尋いで登
- 1759,579,64,2294城して、勅使待遇改善の議を決し、幕府は漸く愁眉を開くを得た。是は三條・姉小
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- 1281,577,63,2308たのである。當時の攘夷は單純なる攘夷に非ず、山内豐信の道破せる如く、一轉
- 1038,571,63,2312く疫巡苦慮を重ね、開國論者たる松平慶永が再變三變して破約攘夷を説いた所
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