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三石清水社行幸, 所に著御あらせられた。, せられしときには、遠くは美濃の地方より拜觀に上京した者もあつたが、此の度, は畏くも攘夷祈願の爲、御在位中行幸あらせ給うたのであつた故、人々路傍に跪, たる後は絶えてなき所であつた。光格天皇の御讓位の後に修學院に行幸あら, 子等數々拜領之由」(文久癸亥筆記)とある。やがて還御仰せ出され、戌刻過, を賜ひ、更に天酌あらせられたので、將軍は天恩の辱を謝し、少時にして御前を退, き、拍手して拜觀した。「中山忠能日記」に「乘輿令過列前給之時、跪地捨手傘平伏雨, 下した。因州藩の記録に、「大樹殊ニ御懇を被蒙賜天酌御前ニ於而三獻拜受御菓, 濕裝束云々」と記してゐる。, 抑天皇の御在位中の行幸は、寛永三年後水尾天皇が二條城に行幸あらせられ, 賀茂上下社に行幸あらせられた後、一箇月を經た四月十一日に、石清水社行幸, 此の社に於いては天皇細殿に還御の後、關白・前關白及び將軍を召されて一獻, 御, 時過, 午後八, 石清水社, 行幸の議, 第十一編尊攘運動の展開, 三八六
割注
- 時過
- 午後八
頭注
- 石清水社
- 行幸の議
柱
- 第十一編尊攘運動の展開
ノンブル
- 三八六
注記 (20)
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- 1251,573,57,679所に著御あらせられた。
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- 773,582,63,2299は畏くも攘夷祈願の爲、御在位中行幸あらせ給うたのであつた故、人々路傍に跪
- 1010,578,61,2299たる後は絶えてなき所であつた。光格天皇の御讓位の後に修學院に行幸あら
- 1374,570,62,2100子等數々拜領之由」(文久癸亥筆記)とある。やがて還御仰せ出され、戌刻過
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- 657,581,60,2303き、拍手して拜觀した。「中山忠能日記」に「乘輿令過列前給之時、跪地捨手傘平伏雨
- 1498,572,60,2308下した。因州藩の記録に、「大樹殊ニ御懇を被蒙賜天酌御前ニ於而三獻拜受御菓
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