『維新史』 維新史 5 p.469

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京に行啓あらせられ、赤坂離宮を以て御所と定めさせられた。斯くて同年五, 竣工するや、皇城を宮城と改稱せられた。茲に搖ぎなき百敷の大宮は永へに, が、特に還幸とは言はず、行幸と稱せられ、同年七月十二日東京に還幸あらせら, 定まり、斯くて遂に東京は事實上我が皇都たるに至つたのである。, を假皇居に充てさせ給うたが、其の後改めて宮殿御造營の旨を仰出され、其の, 内の吹上御苑に於いて執り行はせ給ひ、翌五年四月十二日には皇太后も亦東, 月に海路を中國・四國に御巡幸あらせられ、其の途次京都にも立寄らせ給うた, れた。越えて六年五月五日皇居炎上した際、天皇に於かせられては赤坂離宮, て京都に於いて行はせられる御豫定であつた大嘗祭も、四年十一月東京皇城, 還を延期あらせられる旨を留守官に達し、以て京都市民に諭さしめた。而し, 第三章東京奠都第三節車駕再幸, 四七一

  • 第三章東京奠都第三節車駕再幸

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  • 四七一

注記 (12)

  • 1495,540,66,2327京に行啓あらせられ、赤坂離宮を以て御所と定めさせられた。斯くて同年五
  • 921,541,66,2322竣工するや、皇城を宮城と改稱せられた。茲に搖ぎなき百敷の大宮は永へに
  • 1261,537,70,2329が、特に還幸とは言はず、行幸と稱せられ、同年七月十二日東京に還幸あらせら
  • 809,544,62,1985定まり、斯くて遂に東京は事實上我が皇都たるに至つたのである。
  • 1033,541,67,2324を假皇居に充てさせ給うたが、其の後改めて宮殿御造營の旨を仰出され、其の
  • 1609,537,66,2329内の吹上御苑に於いて執り行はせ給ひ、翌五年四月十二日には皇太后も亦東
  • 1380,539,65,2324月に海路を中國・四國に御巡幸あらせられ、其の途次京都にも立寄らせ給うた
  • 1144,548,72,2320れた。越えて六年五月五日皇居炎上した際、天皇に於かせられては赤坂離宮
  • 1724,543,66,2320て京都に於いて行はせられる御豫定であつた大嘗祭も、四年十一月東京皇城
  • 1838,540,66,2317還を延期あらせられる旨を留守官に達し、以て京都市民に諭さしめた。而し
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