『維新史』 維新史 4 p.361

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野國臣等は但馬に、相次いで義兵を擧げ、翌元治元年藤田小四郎等は筑波山に擧, つた。而してこれ等留學生の多くは、何れも歸國の後、朝野の重要位置について, 容易に見るべき成果が上らなかつた。然るに文久三年中山忠光等は大和に、平, 一新の後は新政府の開國進取の方針に從ひ、其の數は更に一段と増加するに至, 兵し、京都には禁門の變起るなど、東西の各地に兵亂勃發し、幕府は辛くも之を鎭, 爾後幕府は鋭意其の遂行に努めたが、舊來の弊習と財政の窮乏とに制せられて、, 斯くの如く、幕府の解禁後、海外に渡航する者は漸次に多くなつて來たが、大政, 第四節陸海軍の改編と新兵術の採用, 能く我が國近代文明の進歩發展に貢獻したのである。, 定したが、慶應二年第二囘征長の役に際しては、遂に長州軍の爲、一敗地に塗れ、鼎, 一幕府の陸海軍改編, 曩に文久二年幕府は泰西の兵制に基いて陸軍の改編に著手した。, 二章第四節參照, 第三卷第十編第, 陸軍, 第三章新條約國と西洋文化の移入第四節陸海軍の改編と新兵術の採用, 三六一

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  • 二章第四節參照
  • 第三卷第十編第

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  • 陸軍

  • 第三章新條約國と西洋文化の移入第四節陸海軍の改編と新兵術の採用

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  • 三六一

注記 (17)

  • 602,570,69,2289野國臣等は但馬に、相次いで義兵を擧げ、翌元治元年藤田小四郎等は筑波山に擧
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