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山田市之允, 一、長藝の内一藩、京師を應援す。, 一、根據守衞、薩藩二小隊へ長藝の内、相加候事。, 一、薩侯御一手は京師を專任とす。, 日西の宮著、薩藩より京都の模樣報知の上、進入の筈、, 一、三藩とも浪華根據の事。, 就き、長州藩は品川彌二郎・世良修藏, 協議し、薩・長・藝三藩兵の部署・進退に關して、左の六箇條を約定したのである。, せられ、大いに其の兵威を振つたのであつた。, に及んで出發するに決したのである。尋いで長州藩の毛利内匠, 島津茂久は出兵の協約を終るや、即夜兵船を率ゐて三田尻を發し、東上の途に, 一、薩侯御著坂、廿一日にて、廿三日御入京、二十六日三田尻出浮の兵出帆、廿八, 一、〇の義は山崎路より西之宮へ〓、詰り藝州までの事。(黒田子爵家文書), をして之に同行せしめた。茂久は同月, 二十三日を以て入京し、相國寺に屯營した。當時在京の薩州藩兵は一萬と稱, 等は豫て東上することになつてゐたので、更に西郷吉之助等と, 楫取素彦・, 徳, 親, 信, 義, 砥, 顯, 第十八編王政復古大號令の渙發, 四六
割注
- 徳
- 親
- 信
- 義
- 砥
- 顯
柱
- 第十八編王政復古大號令の渙發
ノンブル
- 四六
注記 (25)
- 1624,527,54,326山田市之允
- 1049,612,59,900一、長藝の内一藩、京師を應援す。
- 1277,613,60,1321一、根據守衞、薩藩二小隊へ長藝の内、相加候事。
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- 1392,611,60,758一、三藩とも浪華根據の事。
- 470,518,60,1040就き、長州藩は品川彌二郎・世良修藏
- 1503,521,62,2268協議し、薩・長・藝三藩兵の部署・進退に關して、左の六箇條を約定したのである。
- 237,518,58,1339せられ、大いに其の兵威を振つたのであつた。
- 1730,526,65,1959に及んで出發するに決したのである。尋いで長州藩の毛利内匠
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- 698,606,64,2162一、〇の義は山崎路より西之宮へ〓、詰り藝州までの事。(黒田子爵家文書)
- 468,1650,57,1181をして之に同行せしめた。茂久は同月
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- 1613,945,68,1891等は豫て東上することになつてゐたので、更に西郷吉之助等と
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