『維新史』 維新史 5 p.239

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書を授けさせられて、, 翌明治二年正月に至つて、京都に登らせられたのである。, たが、恰も東北の天地は戰雲漠々として容易に鎭靜せず、慶喜は或は戰の餘波, が水戸に及んで、謹愼の妨碍となるべきことを〓れた。是に於いて慶喜は難, 御心を勞し給うたことは、雄々しくも又尊き御心ざまであつた。而して宮は, の安堵致し候を見屆候上、上京致度、暫の處御猶豫願上まいらせ候。, を避けて駿府に移居するに決し、七月十九日水戸を發して、銚子より海路西航, 時に徳川慶喜は水戸弘道館の一室に屏居して只管謹愼の生活を續けてゐ, 速ニ上京致、御わび御禮申上度心得ニ候へ共、龜之助駿州へ引移り、家來一同, とて、暫く上京の猶豫を請はせられた。宮が終始徳川家及び舊幕臣の將來に, を發して、十五日駿府に入つた。又曩に徳川家七十萬石の領地は、, し、二十三日夕刻駿府寶壺院に入つた。尋いで八月九日、徳川龜之助も亦東京, 駿河國全部と遠江・陸奧兩國の一部とに於いて賜るべき旨を仰出されたが、東, (靜寛院宮御日記), を東京と改む, 七月十七日江戸, 慶喜龜之, 移居, 助の駿府, 第十九編戊辰の役, 二四〇

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  • を東京と改む
  • 七月十七日江戸

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  • 慶喜龜之
  • 移居
  • 助の駿府

  • 第十九編戊辰の役

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  • 二四〇

注記 (21)

  • 1738,521,57,631書を授けさせられて、
  • 1042,521,59,1698翌明治二年正月に至つて、京都に登らせられたのである。
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