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敦賀より御乘船、海路北越に航し、同月十五日柏崎に著せられた。, れた。仍つて長岡藩の總帥河井繼之助は加茂, 日月・小野・小松の七藩兵を之に屬せしめ、且つ小濱藩兵を以て先鋒と爲した。, に本營を置き、五月二十四, 力の不足と彈藥の缺乏とに惱み、加之地理不案内に〓されて盆〻不利に陷つた。, 尾駿河, と爲し、佐賀藩士楠田十左衞門, 日より行動を開始して、全線に亙り逆襲に轉じて來た。六月二日賊軍の主力, 拂曉を期して敢然總攻撃に移らんとした。, は今町に殺到し、官軍は之を支ふる能はず、見附方面に退いた。爾後官軍は兵, 是に於いて政府も亦北越兵力増強の必要を認め、六月十四日軍務官知事嘉彰, を副參謀、備前藩士土倉修理介, を軍監と爲し、尋いで明石・福知山・高鍋・足守・三, 親王を會津征討越後口總督と爲し、三等陸軍將西園寺公望・同壬生基修を參謀, 斯くて越後口の官軍は逐次増強せられたので、七月二十五日の, 福井藩士松平源太郎, 親王は同月二十二日參内して錦旗・節刀を賜り、即日京都を發せられ、七月七日, ・因州藩士荒, れる結果、米澤・庄内・仙臺等の諸藩兵は續々來援し、北越の賊勢は頗る強化せら, 辭し七月二十九日, 是より先六月二十七, 日高倉永祐は總督を, 原郡, 高田の營に薨じた, 南蒲, 世, 英, 正, 彦, 直, 章, 成, 正, 嘉彰親王, 總督任命, の越後口, 第三章東北の戰爭第三節越後口・秋田口の戰, 二八一
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- 辭し七月二十九日
- 是より先六月二十七
- 日高倉永祐は總督を
- 原郡
- 高田の營に薨じた
- 南蒲
- 世
- 英
- 正
- 彦
- 直
- 章
- 成
頭注
- 嘉彰親王
- 總督任命
- の越後口
柱
- 第三章東北の戰爭第三節越後口・秋田口の戰
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- 二八一
注記 (38)
- 588,518,65,1922敦賀より御乘船、海路北越に航し、同月十五日柏崎に著せられた。
- 1740,512,61,1403れた。仍つて長岡藩の總帥河井繼之助は加茂
- 820,515,64,2281日月・小野・小松の七藩兵を之に屬せしめ、且つ小濱藩兵を以て先鋒と爲した。
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- 1394,512,65,2352力の不足と彈藥の缺乏とに惱み、加之地理不案内に〓されて盆〻不利に陷つた。
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- 1166,510,67,2341親王を會津征討越後口總督と爲し、三等陸軍將西園寺公望・同壬生基修を參謀
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