『維新史』 維新史 5 p.487

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又近江の竹生島の辨天堂に就いても、政府は社僧, 移して神社に改めたのであつた。, 主神と稱する金精明神を金峰神社と稱し、山上の藏王堂を同社の奧宮、山下の, 都の興福寺に於ける神佛分離の如きは、誠に言語に絶するものであつた。大, を本殿、護國院を拜殿、十三重塔を神廟、講堂を其の拜所に改めたのであつて、こ, つて、神地か佛地かが決定するのであるが、政府は神體なりとの解釋をとり、地, 藏王堂を口宮とした。, 乘院・一乘院以下一山の僧侶は、多く公卿の子弟であつたが、神佛分離の發令と, 共に孰れも復飾し、大乘院は松園、一乘院は水谷川、其の他孰れも改姓して春日, れ今日の談山神社である。又吉野山は藏王權現を神佛孰れに認むるかに依, 而して中古以來、常に延暦寺と並稱せられ、教俗兩界に其の勢力を振うた南, 令出づるや、僧侶は孰れも復飾して神勤し、殿堂を神社に改めた。即ち聖靈院, く、從來祠官の奉仕する者とてはなく、僧侶のみが勤仕してゐたが、神佛分離の, の歎願を聽かず、延喜式に見ゆる都久夫須麻神社と認定し、斷然辨天像を他に, 頭に烏帽子を釘付けにしたと謂ふ。又大和の多武峰は寧ろ佛寺ともいふべ, 後に舊, に復す, 興福寺の, 吉野山, 慘状, 竹生島, 多武峰, 第四章祭政一致第二節神佛分離と廢佛毀釋, 四八九

割注

  • 後に舊
  • に復す

頭注

  • 興福寺の
  • 吉野山
  • 慘状
  • 竹生島
  • 多武峰

  • 第四章祭政一致第二節神佛分離と廢佛毀釋

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  • 四八九

注記 (24)

  • 1073,1384,66,1472又近江の竹生島の辨天堂に就いても、政府は社僧
  • 833,522,63,1001移して神社に改めたのであつた。
  • 1186,522,70,2325主神と稱する金精明神を金峰神社と稱し、山上の藏王堂を同社の奧宮、山下の
  • 595,523,75,2328都の興福寺に於ける神佛分離の如きは、誠に言語に絶するものであつた。大
  • 1524,517,77,2326を本殿、護國院を拜殿、十三重塔を神廟、講堂を其の拜所に改めたのであつて、こ
  • 1300,527,72,2322つて、神地か佛地かが決定するのであるが、政府は神體なりとの解釋をとり、地
  • 1069,521,57,645藏王堂を口宮とした。
  • 475,526,77,2326乘院・一乘院以下一山の僧侶は、多く公卿の子弟であつたが、神佛分離の發令と
  • 354,526,77,2325共に孰れも復飾し、大乘院は松園、一乘院は水谷川、其の他孰れも改姓して春日
  • 1412,524,75,2326れ今日の談山神社である。又吉野山は藏王權現を神佛孰れに認むるかに依
  • 720,593,76,2262而して中古以來、常に延暦寺と並稱せられ、教俗兩界に其の勢力を振うた南
  • 1640,518,78,2329令出づるや、僧侶は孰れも復飾して神勤し、殿堂を神社に改めた。即ち聖靈院
  • 1752,524,81,2315く、從來祠官の奉仕する者とてはなく、僧侶のみが勤仕してゐたが、神佛分離の
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