『維新史』 維新史 5 p.753

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ある。, の途に就いたのであつた, 久光が積年王事に盡瘁したる功を嘉せられ、上京を命じて大政を翼贊せしめ, 給うたことがあつた。敬親・久光の二人は感激措く能はずして直ちに上京し、, の上京は自然遷延した。又鹿兒島藩に於いては、久光は豫てより政府の新政, を鹿兒島に差遣あらせられ、長州藩主毛利敬親及び薩州藩主島津忠義の生父, は、十一月の兵制改革を機として、遊撃・奇兵の諸隊士は藩命に抗せんとし、敬親, い。是より先、明治二年正月晦日には勅使萬里小路通房を山口に、同柳原前光, 喜ばざる徒もあつて、藩情は決して穩かではなかつた。即ち山口藩に於いて, 惟ふに政府基礎の確立は、有力なる薩長二大雄藩が提携する以外に途はな, 兒島藩知事島津忠義は朝旨を奉じて鋭意藩政の改革に力を注いだが、革新を, 敬親は三月朔日に、又久光は三日に夫々參内し、厚く天恩を拜謝して、一旦歸國, 其の後幾許もなく版籍奉還の事あるや、山口藩知事毛利廣封, 策に對して不滿を懷き、就中門閥の打破、藩知事の任命の如きは、封建制度を廢, 鹿, 一年六月敬親隱居, して廣封襲封す, 勅使萬里, の下向, の藩情, 柳原前光, 薩長二藩, 小路通房, 第二十二編封建制度の撤廢, 七五六

割注

  • 一年六月敬親隱居
  • して廣封襲封す

頭注

  • 勅使萬里
  • の下向
  • の藩情
  • 柳原前光
  • 薩長二藩
  • 小路通房

  • 第二十二編封建制度の撤廢

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  • 七五六

注記 (25)

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  • 938,565,57,763の途に就いたのであつた
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