『維新史』 維新史 5 p.757

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京すべく、取敢へず大參事西郷隆盛を東上せしむべしと奉答した。斯くて具, 視は鹿兒島に於ける使命を果したので、二十八日同地を發し、途次日向國細島, を忠義に授けた。久光は恐懼措く所を知らずして、來春病の平癒を待つて上, が知られるのである。, 具視は山口城に臨み、勅書を敬親に授け、敬親も亦謹んで命を奉じたのである。, に於いて利通・有朋・純義及び隆盛等と合したる後、翌四年正月六日三田尻に著, 兵部大丞川村純義等を隨へて海路大坂を發し、十八日鹿兒島に著いた。越え, て二十三日具視は鹿兒島城に臨んだが、久光は依然病臥中であつたので、勅書, き、先著せる木戸孝允及び權大參事杉孫七郎と會し、翌日山口に入つた。九日, (岩倉家文書)とあつて、隆盛召命のことも亦具視差遣の目的の一であつたこと, 初め廟議は、薩長二藩をして協力せしめ、政府の基礎を強固ならしめようと, 岩倉具視は勅命を奉じて、十二月十五日大久保利通及び兵部少輔山縣有朋・, 計つた。然るに利通・孝允等が親しく隆盛と議するに及んで、土州藩も亦幕末, 以來國事に奔走せる功績の大なるものがあり、殊に版籍奉還の際の如きは、率, 久光敬親, の本命と, 隆盛の上, 土州藩勸, 誘の議, 京, 第二十二編封建制度の〓廢, 七六〇

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  • 久光敬親
  • の本命と
  • 隆盛の上
  • 土州藩勸
  • 誘の議

  • 第二十二編封建制度の〓廢

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  • 七六〇

注記 (22)

  • 1010,535,63,2331京すべく、取敢へず大參事西郷隆盛を東上せしむべしと奉答した。斯くて具
  • 899,535,62,2330視は鹿兒島に於ける使命を果したので、二十八日同地を發し、途次日向國細島
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