Loading…
要素
頭注ノンブル
OCR テキスト
京すべく、取敢へず大參事西郷隆盛を東上せしむべしと奉答した。斯くて具, 視は鹿兒島に於ける使命を果したので、二十八日同地を發し、途次日向國細島, を忠義に授けた。久光は恐懼措く所を知らずして、來春病の平癒を待つて上, が知られるのである。, 具視は山口城に臨み、勅書を敬親に授け、敬親も亦謹んで命を奉じたのである。, に於いて利通・有朋・純義及び隆盛等と合したる後、翌四年正月六日三田尻に著, 兵部大丞川村純義等を隨へて海路大坂を發し、十八日鹿兒島に著いた。越え, て二十三日具視は鹿兒島城に臨んだが、久光は依然病臥中であつたので、勅書, き、先著せる木戸孝允及び權大參事杉孫七郎と會し、翌日山口に入つた。九日, (岩倉家文書)とあつて、隆盛召命のことも亦具視差遣の目的の一であつたこと, 初め廟議は、薩長二藩をして協力せしめ、政府の基礎を強固ならしめようと, 岩倉具視は勅命を奉じて、十二月十五日大久保利通及び兵部少輔山縣有朋・, 計つた。然るに利通・孝允等が親しく隆盛と議するに及んで、土州藩も亦幕末, 以來國事に奔走せる功績の大なるものがあり、殊に版籍奉還の際の如きは、率, 久光敬親, の本命と, 隆盛の上, 土州藩勸, 誘の議, 京, 第二十二編封建制度の〓廢, 七六〇
頭注
- 久光敬親
- の本命と
- 隆盛の上
- 土州藩勸
- 誘の議
- 京
柱
- 第二十二編封建制度の〓廢
ノンブル
- 七六〇
注記 (22)
- 1010,535,63,2331京すべく、取敢へず大參事西郷隆盛を東上せしむべしと奉答した。斯くて具
- 899,535,62,2330視は鹿兒島に於ける使命を果したので、二十八日同地を發し、途次日向國細島
- 1123,537,65,2324を忠義に授けた。久光は恐懼措く所を知らずして、來春病の平癒を待つて上
- 1608,542,58,636が知られるのである。
- 554,536,64,2346具視は山口城に臨み、勅書を敬親に授け、敬親も亦謹んで命を奉じたのである。
- 784,540,62,2330に於いて利通・有朋・純義及び隆盛等と合したる後、翌四年正月六日三田尻に著
- 1358,538,63,2320兵部大丞川村純義等を隨へて海路大坂を發し、十八日鹿兒島に著いた。越え
- 1239,541,63,2325て二十三日具視は鹿兒島城に臨んだが、久光は依然病臥中であつたので、勅書
- 669,536,64,2325き、先著せる木戸孝允及び權大參事杉孫七郎と會し、翌日山口に入つた。九日
- 1725,536,62,2320(岩倉家文書)とあつて、隆盛召命のことも亦具視差遣の目的の一であつたこと
- 439,614,63,2247初め廟議は、薩長二藩をして協力せしめ、政府の基礎を強固ならしめようと
- 1481,608,61,2270岩倉具視は勅命を奉じて、十二月十五日大久保利通及び兵部少輔山縣有朋・
- 325,542,65,2324計つた。然るに利通・孝允等が親しく隆盛と議するに及んで、土州藩も亦幕末
- 211,538,64,2322以來國事に奔走せる功績の大なるものがあり、殊に版籍奉還の際の如きは、率
- 1512,297,41,165久光敬親
- 1470,303,39,155の本命と
- 1426,298,41,161隆盛の上
- 472,298,41,162土州藩勸
- 426,297,42,121誘の議
- 1382,296,38,39京
- 1838,680,54,682第二十二編封建制度の〓廢
- 1837,2372,42,121七六〇







