『維新史』 維新史 5 p.754

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辰の役が鎭定するや、鹿兒島に歸つて藩の參政として藩政改革に專念し、敢て, 上京しなかつた。是に於いて政府部内には敬親・久光及び隆盛の三人に上京, に對しても亦、同じく歸藩して、久光及び隆盛に上京を慫慂すべしと命じた。, る爲に、其の鎭定に寧日なく、敬親の上京も亦自然是が爲に遷延したが、漸く翌, こと四箇月、十月歸藩の途に就いたのであつた。, した雄藩であり、久光は藩主の生父として藩の實權を掌握してゐたので、久光, 容易に上京しなかつた。蓋し薩州藩は長州藩と相並んで維新の大業に翼贊, が中央政界に出て輔翼の誠を盡くすに於いては、政府の威望は必ずや千鈞の, 三年六月二日に至り、孝允を從へて入京し、七日參朝して天顏を拜し、滯京する, 仍つて孝允は二十八日山口に歸つたが、恰も藩に於いては〓隊騷動が勃發せ, 藩して敬親に上京の命を傳ふべき旨を達し、次いで五日には參議大久保利通, を命ずるの議が生じ、二年十二月三日、待詔院出仕木戸孝允に對して、速かに歸, して郡縣制度と爲すものにして、治平の道に非ずと考へ、獨り故山に歸臥して, 重さを加へたであらう。又西郷隆盛は王政復古の實現に大功を建てたが、戊, 木戸孝允, の上京, 大久保利, 通の歸藩, 毛利敬親, 第三章廢藩置縣第二節封建制度沒落の趨勢, 七五七

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  • 木戸孝允
  • の上京
  • 大久保利
  • 通の歸藩
  • 毛利敬親

  • 第三章廢藩置縣第二節封建制度沒落の趨勢

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  • 七五七

注記 (21)

  • 1303,533,62,2324辰の役が鎭定するや、鹿兒島に歸つて藩の參政として藩政改革に專念し、敢て
  • 1189,537,62,2324上京しなかつた。是に於いて政府部内には敬親・久光及び隆盛の三人に上京
  • 848,537,59,2268に對しても亦、同じく歸藩して、久光及び隆盛に上京を慫慂すべしと命じた。
  • 610,535,60,2320る爲に、其の鎭定に寧日なく、敬親の上京も亦自然是が爲に遷延したが、漸く翌
  • 373,541,58,1415こと四箇月、十月歸藩の途に就いたのであつた。
  • 1645,539,62,2316した雄藩であり、久光は藩主の生父として藩の實權を掌握してゐたので、久光
  • 1757,533,64,2328容易に上京しなかつた。蓋し薩州藩は長州藩と相並んで維新の大業に翼贊
  • 1530,534,62,2320が中央政界に出て輔翼の誠を盡くすに於いては、政府の威望は必ずや千鈞の
  • 490,541,61,2312三年六月二日に至り、孝允を從へて入京し、七日參朝して天顏を拜し、滯京する
  • 732,536,59,2317仍つて孝允は二十八日山口に歸つたが、恰も藩に於いては〓隊騷動が勃發せ
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