『維新史』 維新史 7 解説 p.53

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移った。, 一次疎開によってほとんど安全圏に移された。, し疎開用資料の入手も極めて困難であり、職員の罹災も相つぎ、業務は容易に進行しなかった。書, 籍のほとんどは荒繩にて適当にくくられ、輸送の日を俟つといった状態であった。幸にして六月末, 原平三応召後は吉田常吉・小西四郎らが専らこれに当った。, 田繊維専門学校(現信州大学)を適地と定めた。疎開業務は、原平三編修官が中心となって進められ、, 何時本土工襲を受けるかもわからない情勢となり、そこで疎開の適地が調査され、長野県上田市上, には全図書・什器類は無事同校に到着、同学内陳列品館に収められた。職員数名もまた、福島市に, 料・特別史料図書・未整理史料が同校書庫・乾繭室に収められた。重要と思われるものは、この第, 開することとなった。この疎開先には福島市北郊福島経済専門学校(現福島大学)が選ばれた。しか, 昭和十九年五月以降四回にわたって、稿本四、〇九四冊、借入史料九、五六九冊、そのほか補足史, ついで昭和二十年に入り、空襲は激化した。そこで全図書や什器類のほとんどを、職員と共に疎, 時に同校の近くには中島飛行機工場が地下工事中であり、福島市も空工襲を受ける危険が多大であ, った。このため重要な史料等を再疎開することとなり、吉田常吉・斎藤健治(小西は応召)の両人に, 『維新史』と維新史料編纂会, 五六

  • 『維新史』と維新史料編纂会

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  • 五六

注記 (16)

  • 467,343,53,194移った。
  • 1163,369,57,1146一次疎開によってほとんど安全圏に移された。
  • 811,346,59,2524し疎開用資料の入手も極めて困難であり、職員の罹災も相つぎ、業務は容易に進行しなかった。書
  • 696,342,58,2528籍のほとんどは荒繩にて適当にくくられ、輸送の日を俟つといった状態であった。幸にして六月末
  • 1516,353,57,1510原平三応召後は吉田常吉・小西四郎らが専らこれに当った。
  • 1631,357,60,2537田繊維専門学校(現信州大学)を適地と定めた。疎開業務は、原平三編修官が中心となって進められ、
  • 1746,350,58,2522何時本土工襲を受けるかもわからない情勢となり、そこで疎開の適地が調査され、長野県上田市上
  • 582,357,58,2506には全図書・什器類は無事同校に到着、同学内陳列品館に収められた。職員数名もまた、福島市に
  • 1278,355,60,2512料・特別史料図書・未整理史料が同校書庫・乾繭室に収められた。重要と思われるものは、この第
  • 926,347,60,2522開することとなった。この疎開先には福島市北郊福島経済専門学校(現福島大学)が選ばれた。しか
  • 1392,406,60,2468昭和十九年五月以降四回にわたって、稿本四、〇九四冊、借入史料九、五六九冊、そのほか補足史
  • 1038,412,59,2462ついで昭和二十年に入り、空襲は激化した。そこで全図書や什器類のほとんどを、職員と共に疎
  • 341,397,58,2472時に同校の近くには中島飛行機工場が地下工事中であり、福島市も空工襲を受ける危険が多大であ
  • 226,361,60,2502った。このため重要な史料等を再疎開することとなり、吉田常吉・斎藤健治(小西は応召)の両人に
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