『維新史』 維新史 7 解説 p.54

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を提出している。, いては不明、維新史料編修掛となったと推定される)、さらに敗戦後の文部省機構の改革によって昭和二十, し気味の存在であったが、膨大な稿本・史料を持ち、小人数とはいえ職員を抱えている事業を、全, 理について腐心したが、昭和二十一年十二月には、文部次官に対して左のような「事業処理私案」, 教科書局所管維新史料掛となった。局から課へ、課から掛へと縮小の道をたどり、職員も十人前後, ところで敗戦の日を迎えて、この事業をどうするかが問題となった。文部省としては、もてあま, た。, せ、かたがたタイピスト・校正員など数名を大日本維新史料稿本の複本作成に当らせる、(二)移管, 年十月社会教育局所管となった。維新史料編修官も、一名に減員となった。ついで翌二十一年三月, 即ち(一)事業中止の場合には、疎開史料などを本省に戻し、残務者一名を置いてその整理に当ら, になってしまった。, く廃止するわけにも行かないという状態であった。藤井甚太郎(前編纂官、当時嘱託)が専ら事業の処, よって、福島市を離れた農村素封家の蔵に漸く格納を見たのは、敗戦の日八月十五日の前日であっ, この一ケ月程前、昭和二十年七月に、史料編修課は教学局所管となり(この間の官制などの変更につ, 文部省維新史料編纂会・文部省維新史料編纂事務局小史, 五七

  • 文部省維新史料編纂会・文部省維新史料編纂事務局小史

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  • 五七

注記 (16)

  • 585,342,52,418を提出している。
  • 1522,340,58,2523いては不明、維新史料編修掛となったと推定される)、さらに敗戦後の文部省機構の改革によって昭和二十
  • 936,337,63,2527し気味の存在であったが、膨大な稿本・史料を持ち、小人数とはいえ職員を抱えている事業を、全
  • 699,337,59,2497理について腐心したが、昭和二十一年十二月には、文部次官に対して左のような「事業処理私案」
  • 1286,337,63,2527教科書局所管維新史料掛となった。局から課へ、課から掛へと縮小の道をたどり、職員も十人前後
  • 1051,395,60,2466ところで敗戦の日を迎えて、この事業をどうするかが問題となった。文部省としては、もてあま
  • 1756,339,49,72た。
  • 346,348,60,2514せ、かたがたタイピスト・校正員など数名を大日本維新史料稿本の複本作成に当らせる、(二)移管
  • 1401,334,63,2528年十月社会教育局所管となった。維新史料編修官も、一名に減員となった。ついで翌二十一年三月
  • 463,393,59,2463即ち(一)事業中止の場合には、疎開史料などを本省に戻し、残務者一名を置いてその整理に当ら
  • 1175,347,49,470になってしまった。
  • 815,336,62,2524く廃止するわけにも行かないという状態であった。藤井甚太郎(前編纂官、当時嘱託)が専ら事業の処
  • 1868,336,63,2506よって、福島市を離れた農村素封家の蔵に漸く格納を見たのは、敗戦の日八月十五日の前日であっ
  • 1632,398,64,2454この一ケ月程前、昭和二十年七月に、史料編修課は教学局所管となり(この間の官制などの変更につ
  • 236,569,49,1067文部省維新史料編纂会・文部省維新史料編纂事務局小史
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