『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.330

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なり、種々時勢を談話す、同藩士は正義家多しと相見えたり、, に付、相談の爲なり、自分と中山佐衞士・毛利恭助三人は歸藩、宰府の事情を報知する爲なり、夫よ, これは、九月四日出足後、追つて承知す、, 一同廿九日、晴、熊本を發し、五里大津に宿す、, り三人大洲藩へ立寄り、同藩士武田龜五郎に面會す、同人は使節として我藩へ參りたる事あり、學者, 梅澤孫太郎船に乘り、浦戸港に來る由なり、水府より一橋公に附人、, 次郎は直に上京す、是れ宰府にて色々相談の末、當京都に坂本龍馬・中岡愼太郎等罷在、夫是周旋中, 一同卅日、大津を發し、是より佐賀關通り、豫州へ著し、豫州路にて藤本潤七・島村壽太郎・佐井虎, 御取締掛御目付へ可示合候、以上、, 今般京都御警衞詰越等被仰付候に付ては、木津川二ヶ所の御番所の儀は被成免候、委細の儀は、, 慶應二年寅九月廿八日, は不相分、參考の爲に爰に記す、, 老公御逢被遊候哉否の事, 十月, 卷十五慶應二年, 歳五, 十位、, 卷十五慶應二年, 三三三

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  • 歳五
  • 十位、

  • 卷十五慶應二年

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  • 三三三

注記 (19)

  • 863,451,55,1475なり、種々時勢を談話す、同藩士は正義家多しと相見えたり、
  • 1082,457,57,2424に付、相談の爲なり、自分と中山佐衞士・毛利恭助三人は歸藩、宰府の事情を報知する爲なり、夫よ
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