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明元年, 〻按ずるに、其字樣は少し似たる所ありといへども、筆意は大に異なれ, 三年自京都下と題し、その奧に、延文五年彩色訖るといふことも見えた, り、詞書に微功を竣ふとは、書畫ともに功成りしことをいひ、奧書に、建治, とあり、正嘉は後深草天皇の年號にて、その二年は、後京極殿薨ぜられし, 持なりとて、三卷あり、詞は古筆了任が、札に後京極殿と題せり、予つら〻, 建永元年よりは、五十三年おくれたれば、道風の郎詠なり、或人曰く、これ, ば、鑑定をあやまてるならんとおもひて、詞を讀みて見しかば、大尾に曰, 目をたのみて、心を用ひざる失なりと、予曰く、されども、是は目をたのみ, 月四日、或る方にてふと見ることを得たり、繪は探幽法印の審定、土佐光, ても、後京極殿とは見えず、冷笑に堪へたり、繪の筆者光持は廣周が元の, 土佐彈正忠廣周と注されたり、その子光信に繪所預の状賜はりしは、文, 祿より二百年ばかり前なれば、了任か後京極殿よりも、猶甚しき誤りな, 名なり、廣周は長祿三年慈照院殿より賜はりし袖判の状、家に傳はりて、, なれば、廣周は長祿の比さかりと見えたり、正嘉は長, く、于時聖暦戊午正嘉第二の年冬十月比、微功を竣ふといふこと爾なり, 長祿三年よ, り十一年, 延喜三年二月二十五日, 三六七
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- 長祿三年よ
- り十一年
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- 延喜三年二月二十五日
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- 三六七
注記 (20)
- 609,705,57,195明元年
- 1677,712,67,2130〻按ずるに、其字樣は少し似たる所ありといへども、筆意は大に異なれ
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