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辛卯、貞觀十三年、尊師, 師、南京僧侶の請によりて、再ひ彼地に赴き、東南院を建て、顯密の學者をつ, 量壽法をうく、是十八道の法則なり、, 師、今年、深艸の普明寺に移住し、眞雅僧正に親近して、學法壇に入、初めて無, とめしむ、巍然として今猶存せり、こは五八代記に、今年とす、故に是を載す, 乙未、貞觀十七年、尊師, 傳燈廣録云, 醍醐寺縁起曰、, 〔理源大師寔録〕下甲午、貞觀十六年、尊師, 師、今年醍醐寺を建立す、, う傳桓ふに花のけの無, にす谷傳寺蓮部授こ, 是歳ノ條ニ掲グ、, 壽の儀軌によるかゆへ、尊師もこの次, ○本文延喜七年, 生年四, 高祖大師御作の十八道の次第は、無量, 四十、, み、葬式を營すと、即普明寺の故地なり、今年、予, 生年, 十四, 大皇の陵より遙の西にあり、今は田野なり、古塚あり、土俗沓塚と號す、傳, キヲ以テ略ス、, 碑を樹てゝ標とす、有志の者徃て見るへし, を、三十歳の時にしるせしは非なり、普明寺今廢す、故地深艸霞の谷桓武, 一尊を洗彫刻して本尊となし玉ふなり、行實記に、十八道の契印を傳ふ事, 第をうけ玉ひて、十〓道の行軌を修習し玉ふなり、師主此尊の法を授け下, ふ、尊師入滅の時、飛行し去り玉ふて遺骸なし、徒弟議して鳥を此處に, ふは、すなはち蓮花部の瑜伽を受學することを許す也、尊師は蓮花部の尊, の尊、七倶胝佛母より出生し玉ふ深意あれは、准胝を並へ念し、醍醐寺に此, 〓縁なるか中に於て、如意輪を本尊とし玉ふ、又准〓は佛なれとも、蓮花部, ○前掲ニ同ジ, 生年四, 十三、, 目縁なるか中に於て、如意輪を本尊とし玉, の尊、七倶〓佛母より出生し玉ふ深意あれ, 醍醐寺ヲ, 建立ス, 東南院ヲ, 其舊跡, 普明寺二, 移住ス, 建ツ, 延喜九年七月六日, 一四八
割注
- 是歳ノ條ニ掲グ、
- 壽の儀軌によるかゆへ、尊師もこの次
- ○本文延喜七年
- 生年四
- 高祖大師御作の十八道の次第は、無量
- 四十、
- み、葬式を營すと、即普明寺の故地なり、今年、予
- 生年
- 十四
- 大皇の陵より遙の西にあり、今は田野なり、古塚あり、土俗沓塚と號す、傳
- キヲ以テ略ス、
- 碑を樹てゝ標とす、有志の者徃て見るへし
- を、三十歳の時にしるせしは非なり、普明寺今廢す、故地深艸霞の谷桓武
- 一尊を洗彫刻して本尊となし玉ふなり、行實記に、十八道の契印を傳ふ事
- 第をうけ玉ひて、十〓道の行軌を修習し玉ふなり、師主此尊の法を授け下
- ふ、尊師入滅の時、飛行し去り玉ふて遺骸なし、徒弟議して鳥を此處に
- ふは、すなはち蓮花部の瑜伽を受學することを許す也、尊師は蓮花部の尊
- の尊、七倶胝佛母より出生し玉ふ深意あれは、准胝を並へ念し、醍醐寺に此
- 〓縁なるか中に於て、如意輪を本尊とし玉ふ、又准〓は佛なれとも、蓮花部
- ○前掲ニ同ジ
- 十三、
- 目縁なるか中に於て、如意輪を本尊とし玉
- の尊、七倶〓佛母より出生し玉ふ深意あれ
頭注
- 醍醐寺ヲ
- 建立ス
- 東南院ヲ
- 其舊跡
- 普明寺二
- 移住ス
- 建ツ
柱
- 延喜九年七月六日
ノンブル
- 一四八
注記 (45)
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