『大日本史料』 1編 5 延喜18年 7月~延長5年10月 p.427

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害堅固なり、府城の雄鎭といふへし、, なり、ふもとの左に、宮津より一里の碑あり、是まて山路嶮岨なり、, 巓に宮津より二里の碑あり、其東に普甲寺の舊跡あり、是普賢の道場にし, それより巓まて二里、此間に二瀬川あり、左の方に千丈か嶽、鬼か窟あり、山, 大刹有り、それゆへ山をも普甲と名付しと云説もみへたり京極公入國の, 砌、不幸の音を諱て、千歳嶺と改へしと令ありしとかや、坂路險岨にして要, 絶へ、尋る人もまれなり、凡山間に三所茶屋有、京極安知公、旅客の爲に置所, 橋立記曰、此山は大山といふ名所なり、帝都より山南の麓、内宮迄二十四里、, て、開山は棄世上人といふ、今辻堂のやうなる普賢堂あり、〓棘生ひて路も, 右大臣定方、亡母ノ爲ニ、勸修寺ノ西堂ヲ建立ス、, 奉爲亡母尊靈、延喜年中、所被建立也、結成一堂而盡土木、安置五佛以供香, 西堂, 〔勸修寺舊記〕一堂舍佛像, 件堂康保元年七月廿一日、坊中納言朝忠始被置三僧、文云、故右丞相殿下, 花、, 延喜年中, 在本堂西、三間四面、又, 有孫庇、檜皮葺、○中略, 開山, 舊跡, 置ス, 五佛ヲ安, 普賢堂, 四二七

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  • 在本堂西、三間四面、又
  • 有孫庇、檜皮葺、○中略

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  • 開山
  • 舊跡
  • 置ス
  • 五佛ヲ安
  • 普賢堂

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  • 四二七

注記 (24)

  • 1594,660,66,1073害堅固なり、府城の雄鎭といふへし、
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