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を以て逝去せらる、, 〔高野山囘答書〕, せりと, 十三代教了に從ふて剃度し、法號を至誠院圓實徳雲大居士と名つく、其後, 織田中納言秀信卿、慶長五年八月關原, 右岐阜の人より言越されし一節なり、因て、麓に於て天王堂なるものを搜, ありて、銘文も明なり、然して當寺にもあるは、此に居住せし故なるへし、, 索するに、伊都郡内に似寄りの堂舍庵室もなし、但學文路村大字學文路に, る小祠あるか故に、天王の森と稱するなるへし、其邊に墳墓らしきものあ, いふ、, 尾州知多郡に移り、遂に高野山に來り、麓なる天王堂に於て、行年廿一歳、病, 天王の森と云ふ所ありと聞しかは、其由緒を探りしに、祇園牛頭天王を祀, の役、岐阜城に據りて數日激戰、力竭きて敵に降り、同地圓徳寺に入り、同寺, るを見すと、其地の人はいへり、又聞けき、其天王堂は元ありしか、往年廢絶, 〔高野山囘答書〕, 善福寺, 里傳に、秀信卿の臣土居久藏といふもの、此地に蟄居して建てし墓なりと, 井村米太郎善福, 高野山總分方風土記十, ○以下高野山總分方風, 寺舊跡探檢の記, ○中略、秀信ノ墓ノ事ヲ, 記セリ、大略前書ト同ジ、, 五、伊都郡向副村ノ内, 土記ヲ抄録セリ、中略ス, 慶長十年五月八日, 一九〇
割注
- 井村米太郎善福
- 高野山總分方風土記十
- ○以下高野山總分方風
- 寺舊跡探檢の記
- ○中略、秀信ノ墓ノ事ヲ
- 記セリ、大略前書ト同ジ、
- 五、伊都郡向副村ノ内
- 土記ヲ抄録セリ、中略ス
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- 慶長十年五月八日
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- 一九〇
注記 (27)
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