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思ひをなす、これ靈域なりとて、池の側に庵をむすんて居をト給ひける、今の池之, 平を諷ふ、其後康保元年、一宇を建て、普賢の像を安置す、内供ある時、山崎の橋, く、これを尋て攀登り給ふに、一ツの小池あり、其水金色にして瑞雲も亦此池より, トへおはして、橋占を聞給ひけるに、あやしの童牛に騎て、髮にはねつらといふも, 立登る、池の東に一宇の伽藍あり、釋尊の像を安置して安滿寺といふ、眞に鐘聲白, 雲に和し、清淨人世に非さるの古寺にそありける、又此山のすかたを見給ふに、西, の方遠く晴て日想觀の便なきにしもあらす、南〓〓に眺て故國三千里長江十二風の, 卿の二男相模守敏定の子也、千觀箕面寺に詣し給ふ時、北の方に當りて紫雲たなひ, く、安和二年天下旱の時、冷泉帝千觀に勅して祈雨ありけれは、忽膏雨降て萬民太, 其より百餘歳を經て、千觀内供再營より金龍寺と改め給ふ、此内供は中納言橘公頼, それ金龍寺は、桓武帝延暦年中、參議阿倍是雄卿の草創也、はしめは安滿寺と號す、, 坊は此舊蹟也、又此池より龍女現れ出て、法水を甘し成佛す、これより金龍寺と號, 開山堂, 永觀元年十二月十三日, 馬夫と成、旅客の勞を惠む、性質慈順にして、面に順色, なし、常に微笑を含む、世の人笑ひ佛といふ、○中略, 千觀内供は初メ三井寺に在て顯密の法を學ひ、官寺の權豪を厭ひ、山林に隱る、又時々渡口に出て白, 開山千觀内供の影像を安す、慶長七年三月豐臣秀頼公再興より六角堂と成ル、中興宗俊法印なり、抑, 興ス, 金龍寺ヲ再, 千觀ノ像, 永觀元年十二月十三日, 二一〇
割注
- 馬夫と成、旅客の勞を惠む、性質慈順にして、面に順色
- なし、常に微笑を含む、世の人笑ひ佛といふ、○中略
- 千觀内供は初メ三井寺に在て顯密の法を學ひ、官寺の權豪を厭ひ、山林に隱る、又時々渡口に出て白
- 開山千觀内供の影像を安す、慶長七年三月豐臣秀頼公再興より六角堂と成ル、中興宗俊法印なり、抑
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- 興ス
- 金龍寺ヲ再
- 千觀ノ像
柱
- 永觀元年十二月十三日
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- 二一〇
注記 (23)
- 696,738,57,2126思ひをなす、これ靈域なりとて、池の側に庵をむすんて居をト給ひける、今の池之
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