『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.354

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ある人の事、みな業平の事にはあらす、, 一年の内の春と秋とにうせ給ひたるにて、いま一人は中務なるべし、こは, は立かくるへきこのもとも無しと見えたり, 賀は承平七年なるべし、伊勢の皇子生み奉りたる寛平の末を、しばらく廿, 首にいへるごとく、天暦の御時に、中務がもとより、伊勢の集を奉りたれば、, にか、ものに見あたらず、集に、陽成院の帝の御七十の賀の歌みえたり、此御, 然るに、集に、春秋子をなくして思なげきて、春は花秋はもみちとちりしか, 此女ともを、名をかへ、さまをかへて、ところ〳〵に入たるなり、此外に, りて考るに、伊勢のちに親王にめされて、御子三人うみけるが、其中の二人、, 歳ばかりの時として推はかれば、承平七年は六十一二歳の頃にあたれり、, 此歌によ, 〔表章伊勢日記附證〕さて此人いつの頃いくつばかりにて身まかりたる, 天慶元年十一月五日, ふたり侍りける人のと書るは、他人の上にかけて云へる詞にて, この歌、拾遺集哀傷に載て、子, は春身まかり、ひとりは秋なくなりにけるを、人のとむらひて侍りければ、, 違へり、歌も他人の上をおもひやりてよめりとはきこえぬをや, よみ人しらず、春は花秋はもみちとちりはてゝ云々とあり、但し詞書に、子, ふたり侍りける人の、ひとり, 下略, 敦慶親王, ニ召サレ, テ三子ヲ, 生ムトノ, 歿年, 説, 説生, 三五四

割注

  • ふたり侍りける人のと書るは、他人の上にかけて云へる詞にて
  • この歌、拾遺集哀傷に載て、子
  • は春身まかり、ひとりは秋なくなりにけるを、人のとむらひて侍りければ、
  • 違へり、歌も他人の上をおもひやりてよめりとはきこえぬをや
  • よみ人しらず、春は花秋はもみちとちりはてゝ云々とあり、但し詞書に、子
  • ふたり侍りける人の、ひとり
  • 下略

頭注

  • 敦慶親王
  • ニ召サレ
  • テ三子ヲ
  • 生ムトノ
  • 歿年
  • 説生

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  • 三五四

注記 (28)

  • 1716,787,56,1133ある人の事、みな業平の事にはあらす、
  • 319,659,62,2175一年の内の春と秋とにうせ給ひたるにて、いま一人は中務なるべし、こは
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