『大日本史料』 1編 20 天元 5年閏12月~永観2年2月 p.148

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らひに寶物集には、夢想の事はかりあかすなり、, く祕して、張榮か所作の新像を迎奉ると傳記にはのせたり、, 此説尤祕密也、容易これを知しむへからす、然とも末代のために記所也、太子傳な, うちにも、二尊相代給ふ事をはわさとのせす、もし記録にあらは、たとひ一且かくす, り、王臣これを見て、更に怪事なし、甚妙の靈驗筆にもをよひかたし、盛〓か記録の, 〔續傳燈廣録〕, といふとも、遂にあらはるへし、叡聞に達せは、〓然つみをえむこと疑なし、故に深, 書於青龍寺、比叡山寄信乎天台山、然持二書、著宋地、到青龍・天台、各捧書信、巡, 知ぬ、今の清凉寺の本尊は即是羯摩天の眞作栴檀の瑞像なり、うたかふへからす、, 入宋求法南京東大寺沙門〓然傳, 禮聖跡、問〓明師、彼土學士對於然習倭國伊呂波、通和語、因太宗帝詔問日本皇統系, 祚、然答詞詳悉、君臣大稱嘆、賜紫衣、辭登太原五臺山、禮文殊見祥瑞、却汽都西花, 大徳名〓然、, 永觀元年得勅許、秋入大宋、即彼第二主太宗興國八年也、東大寺送, こゝをもて, 門外聖善寺、而拜優〓第二赤祖模像、然暫駈于此誓東漸、雇佛士張榮模刻而得之、便, は是を委記云々, 盛〓か私の日記に, 灌頂護法分三之九, 小野方上傳法嗣祖流派分四, ○中, 略, シ明師ニ問, ストノ説, 聖跡ヲ巡禮, フトノ説, 舊像ヲ將來, 伊呂波ヲ宋, ノ學士ニ教, 〓ス, 永觀元年八月一日, 一四八

割注

  • は是を委記云々
  • 盛〓か私の日記に
  • 灌頂護法分三之九
  • 小野方上傳法嗣祖流派分四
  • ○中

頭注

  • シ明師ニ問
  • ストノ説
  • 聖跡ヲ巡禮
  • フトノ説
  • 舊像ヲ將來
  • 伊呂波ヲ宋
  • ノ學士ニ教
  • 〓ス

  • 永觀元年八月一日

ノンブル

  • 一四八

注記 (32)

  • 1096,731,64,1223らひに寶物集には、夢想の事はかりあかすなり、
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